また体調も少しもちなおしたので最近教会によく行く。体調がもちなおしたというより救われたいという気持ちが強いかもしれない。一昨日の日曜日受難について少し話を聞いた。たとえ話である若い女性が電車に乗っていて、お年寄りが前に来るたびにはじめは席を譲っていたが、その女性もきつかったらしく席が譲れなくなったという。ひっきりなしに前にお年寄りが来るのを下唇を噛み締めながら、自分が降りるまで我慢していたのだそうだ。これもひとつの受難だと牧師先生は言われた。私もくも膜下になる直前まで総務をしていたので現場の女性に育児休暇について丁寧に説明したり、色んな活用できる社会保険、雇用保険の制度について相談にのった。仕事と言えば仕事だが、最後は役員に理不尽なことを請求されたので、代替案を寝ずに考えた。直属の上司はいつこう言われたと記録をとっておき、言われた通りにやればよいと言ったが私にはできなかった。田舎の会社を細分化し、株を親族で持ち合い、少し利益を出して配当を多く払い、組合のない会社だから、一人で最低の法令遵守を行う。一人組合活動のような状態だった。私が倒れ、総務が二人になった、私の病気も私の病気によって楽になった人がいて受難の一つと考えると少し楽になった。キリストほど命をかけて、奇跡をおこすほどの受難と比べるとおこがましいけど。


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