職場で学校の先生と話すことが多いが、先日、国語の先生と好きな作家や本について話した。私の好きな自らの旅の手記も出版してその本も小学生の推薦図書にもなっている浮谷東次郎氏の話をしたら、アメリカ留学中アルバイトで日本で普通に働いているサラリーマンよりはるかに高い金額を稼ぎ、帰国後日本の自動車レースの発展に寄与した。私が言っている普通と言うのは高卒大卒のサラリーマンの平均年収というはっきりしち定義がある。私の話を聞いて普通に働いているサラリーマンを馬鹿にしていると言う。その先生は五体満足で普通に地道に働き続ける人の苦労を知らなければならないという。先日ブログで書いたドキュメンタリーは嫌いな方だ。その中では障がいを持ってがんばっている人も環境に恵まれ、普通ではないから、参考にならないという。その先生の言う普通とは何なのか、私に言わせれば普通に先生の言うことをきいて勉強すれば塾に行かなくとも県内の公立の進学校にも行くことができ、国公立の大学にもすすむことができる。その先生は父兄を前にそんな事言えるだろうか?普通を安易に使う先生に道徳を教える資格もなければ器もない。私は普通を安易に使う先生に反発を続けてきたのだから。荒れたりするのでなく、がむしゃらに勉強して先生が私にあなたはこの程度の順位にしかなれないという言葉に反発してクラスで一番に。
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