人は本音と建前があって、大人になる、につれて建前と本音の割合が変わってくる。


本音だけで話せる人はまずいない。


建前も時には必要になるからだ。


だけど、どれだけ傷ついたとしても、辛かったとしても、本音を誤魔化して生きることは、いつしか建前でしか話せなくなってしまう。



本音は時に人を傷つける。

怒らす。

驚かし、不安にもさせる。


でも、そこでそういった反応をとる人の大半は建前で生きている事が多い。


本音と建前の両者を知り、

バランスが取れている人ばかりならば、

社会はもっと穏やかな世界に満ちているからだ。


本音は心の本当の声。

魂の叫び。本性。ある種直感にも近いものだからだ。


本音を知らない人は自分の歩む道を誤り、踏み外し、それでもなお、「わたしはこのままキレイなこの道を歩きたいんだ」って泣きそうな顔でよろよろと歩いているからだ。


でも、そんな道がいつまでも続けれるはずがない。


道はいつか終わる。



いつか歩き疲れて、


道から転げ落ちて、


落ちた先はどこかもわからず、


帰る道も見失い、


その場でうずくまっていたとしても、


お腹がすいたら嫌でも歩き出さなきゃ死んでしまうからだ。



そうしているうちに、


「なんだか、この道もけっこう悪くないな。」と思うようになり、


前を向いて歩くようになり、


振り返った後には、


自分や他人を誤魔化して歩いて道とは

比べものにならないくらい


素敵な道を歩いてきたことに気づくだろう。