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爆風銃 - BOP GUN -

伝説のNo.1 Funk Band「爆風銃(Bop Gun)」
惜しまれつつも、1983年に活動を休止した。
再活動を望むファンのための応援ブログである。

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私の爆風銃に対するスタンス…想いは
「クラシック・カーをレストアして走行会をやりましょう」では無いのです。

吉祥寺でのライブ映像に残ってる「あの爆風銃」はもう再生出来ないし、出来ても意味は無いと思ってる。
あの時代背景、あの年齢による向こう見ずで恐い物知らず、当時のテクノロジー、若者特有のアンチテーゼの上に成り立った、非常に前のめりなバンドだった…
私が捨てられないのは爆風銃の音楽コンセプトだ。


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手前味噌な話で申し訳ないが(末吉はリアル・タイムで同時体験してるハズ)、バクフウでメジャー・シーンに躍り出た時点で「FUNK」は一般的には通じる単語では無かった。インタビュー記事では毎度のように「ほーじんの好きな音楽はパンク」と原稿を起こされ、ソニーレコード周辺に漂ってる「音楽ライター」ですらFUNKと言う単語を知らなかった。

以来アルバト・ニュースからプチ・セブンまでインタビューでは、「F・U・N・K!ファンクだ!」と吠えまっくった覚えがある。
「バクフウの、オマエの、何処がファンクだ」と批判をよそにサインするときは必ず「FUNK BASS」と書き添えた。
言葉の啓蒙から始めなくてはならなかった私はますます不機嫌になっていった。

もちろん私以前にもベースをブッ叩いていた人は沢山居る。
カシオペアやナルチョ、後藤次利氏…。
しかしオリコン・チャートの周辺に出没し、曲中に2度もベース・ソロが有る曲を全国の茶の間に土足で上がり込んで弾いたのは現在でも私だけだろう。

「こんな弾き方が似合うFUNKって音楽があるんだよ」
そんな想いで、バクフウでプレイし続けた。

「爆風スランプ」と言う非常に中途半端なバンド名のおかげでかなり有名になってからも「爆風とは爆風銃の意」と言い続けることが出来たのは幸い。
私の心の中には常に「爆風銃のベーシストとしてバクフウに参加してる」と言う意識が常にあったことは確かだ。

爆風銃は、市場デビューはしていない。
同窓会ライブなど意味は無いのである。それは個々のミュージシャンとしての「やぁ、元気?」で十分。
錆び付いたクラシック・カーでは無く最新のフォルムに秘めた最新最強のエンジンの爆風銃2010モデルをドライブさせたいのだ。

そのためには西村が居なくては困るのだ。
あいつがシートに座らなきゃ、誰が私のアクセルを踏んでくれると言うのだ…


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前々回にスティーブが飛び入り参加した時に爆風銃の「仕組み」を痛切に実感した。

激しくアンプリファイドする(俺が悪いの?)エレクトリック・バンドの轟音の中で多くのパーカッショニストが直面する「皮モノ聞こえねーよ」に鼻から決別し、根底が8ビートな末吉のドラムをタイトに刻ませ、金物中心にスウィングしてみせる。
当時の劣悪なP.A.環境の中での苦肉の策なのかは定かではないが、スティーブとて当時はただの若者である。あんな若者がいるか?今いるか?あんなこと出来る奴が何処に居るというのだ??

その後多くのパーカッショニストと現場を共にしたがあんなセンスを、あんなプレイをやってのける奴は見た事無い。ルイス・コンテだって出来ないだろう。ポリューニュダ・コスタはアルバムに参加してもらった。
が、スティーブがNo.1。爆風銃エンジンの強力なカムシャフトだ。


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当時は「トリッキーな人だなぁ」と思っていたが、今改めて聴いてみるとホッピーのプレイは非常にポップでファンキーで、適度にアバンギャルドだ。そう、偉くまともなのである。
トリッキーなのはその顔付きと衣装込みの人間的キャラであって、一発モノの単調さを感じさせない爆風銃の演奏はホッピーの音楽的センスの上に成り立っている。
バンドの立ち位置と世間との間合いを計算して中を取り持つインターフェイスとしては超高性能だ。
一番若者離れしていたのもホッピーだろうなぁ。
私がキーボード・プレイヤーに対して「クラヴィネットとプロフィット5」と今でも要求し続けるのは貴方のせいです。心の中でホッピーを追い求めているのか…


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かんじさん…
あぁ…かんじさん、貴方は素敵だ。
最初は、怖くて怖くて、話かけられなかった…
爆風銃で使っていた、あの「マダラ模様なストラト」を炊飯器の湯気でダメにしてしまったかんじさん…

素敵だぁ

自分の関わったすべてのベースラインで一番好きなのは「凍えぬうちに」なのは今も変わってない。
あれは名作だ、文句無しにカッコイイ。
あのラインをオリジネーターとして弾くことを許されていることに「誇り」を感じます。

貴方は水です。
末吉や私のような動物系トンコツ・トリガラも、良い水で無ければ良い出汁は取れません。


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そう末吉、そして貴方だ…
爆風銃以降、西村とは別次元で多くの歴史を私と刻んみ、多くの誤解と行き違いにより一時は破滅的な間柄になりながら、時を経て再び純粋なミュージシャン・シップによって引き寄せられ、今再び共にビートを刻む仲に…

再び一緒にプレイした時、末吉のハイハット・ワークに全神経を集中し「来る!」と思った瞬間に対応出来た時、私のわだかまりは総て時の彼方へ流れ去って行ったよ。

それは私にしか解らないほんの些細な「瞬間」だったと思う。
でも私が「それ」を聴いて育ったのは事実だ。
「それ」が懐かしいし、今でも「それ」が好きなのだ。

何故か「お洒落」に憧れ、意味も無く「お洒落やなぁ」を連発するも、恐らく一生「お洒落」には縁のない末吉…あぁ。

策士的に捉えてる人が多いだろうが、実はナイーブで、シャイで、ピュアな性格の裏返し。
頭の回転が早い人間は、自分の言葉を追い越して行動してしまうもの「みんな末吉に騙された」はそれを象徴してるだけ。
私は騙されたとは思ったことは一度も無いよ。
貴方は私にとって信用出来るドラマーであり「故郷」なのだ。


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私にサムクックやロジャーを教えてくれたのは西村。
そう西村の中目黒の部屋で。
オーティス・レディングのどうしようも無いデザインのレコード・ジャッケトを持ち出し「どうじゃ!最強やでコレ!」

ケラケラ笑いながら、次はブーツィー、そしてプリンス…
新入りベーシストにファンクを語ってくれた…

怒り、不安、自己矛盾を燃料に「踊れ!凍えぬうちに!」とシャウトする。
傲慢で不敵な笑みを浮かべながら...

音楽講師をやって10年以上。何百人もの当時の爆風銃年齢の若者を見て来たが…
あんな「眼」をした奴をみたこと無い。
西村みたいな奴を、西村以外知らない。


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渋谷の文化屋雑貨店2Fの輸入盤屋で「爆風銃ベーシスト募集」の張り紙を見た時、手ぶらだった私は慌ててペンを買いに行き電話番号をメモした。
それが総ての始まりになるとは…
電話に出た末吉に「いっぺん見においでや」と足を運んだACB会館。

オープニング、西村が仁王立ちで天空を指差し、「ウィ・アー・ナンバーワン!、ストリート・ファンクバンド!爆風銃!」とやった瞬間。

私は彼のファンになってしまったのよ。
「彼のベーシスト」の座に着く事が私の音楽的目的になった。


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爆風銃以降、一度西村セッションに誘われた時。
自分の音楽的未熟さで対応できなかったことが悔やまれてならない。
どんな形でも彼との音楽製作を続けておくべきだったのに。


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自分で意識しなくても私はベーシストしてはかなり有名な部類に入る。
それがメジャー・デビューと言うものだろう。
ベーシストと言うポジションのおかげもあり、他ジャンルの同業者とも並べられる。

桜井哲夫、ナルチョ、青木智仁、後藤次利、須藤満、納浩一…

そんな中で、ソロ名義でアルバムを作って無いのは私だけだろう...実際今まで多くのオファーをもらってる。
しかし…何故か、断ってしまう。

何故だろう…
きっと私は今でも「彼のベーシスト」なのだ。


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江川 芳仁 Egawa Hojin