「東京湾」という呼称は、明治維新後江戸が東京と改称され、複数の令制国に囲まれた湾であることから、湾岸における最大の都市名から命名された。地形図では「東京湾」、海図では「東京海湾」の表記であったが、最近になって「東京湾」に統一されたものである[3]。なお、近世の東京湾を指すとされる「江戸湾」という語は近年になって造られた語(造語)であり、明治時代以前にあった言葉ではない[4]。
江戸時代には江戸前や江戸前海などの呼び名があった。江戸前とは漁場を示す言葉であり、主に佃沖の漁場を指した。江戸前海とは房総沖などと並ぶある範囲を持った海域のことで、品川沖から葛西沖あたりまでを包括していた[4]。しかし、湾全体は単に(武蔵相模上総下総の)内海、あるいは裏海のように呼ばれていた[3]。その後の幕末や明治初期の記録文献類に登場する現在の東京湾に相当する湾の名称もほとんどが「内海」となっているが、「内海」という言葉は江戸時代以前に北東の下総常陸国境付近に存在していた「香取海」に対しても用いられるので、昨今では区別のため、古代以前の東京湾のことを「古東京湾」や「奥東京湾」、中世から近世までの湾を「江戸湾」「江戸内海」などと呼称することが多い[5]。
上記は、ウキペディアの「東京湾」を引用
