夫の保険担当者は、お姑さまの保険担当者でもある。例年、必ず挨拶に来てくれる。

夫の事業保険の担当者は年末に、個人の保険担当者はお誕生日月と年末に。お二人とも40〜50代の男性。


遺産相続の話が出て1、2年ほどたった時に、「おかあさんが可哀想で」と言葉を発するようになった。個人の担当者さんは義父の保険も担当していたので、お姑さまから今の家の状況を聞いているんだろう。
事業の保険担当者は詮索好きなのが見て取れるから、人を通じて上辺の情報を集めていると思う。

義父から賃貸ビルとその収入と土地を残してもらったお姑さま。土地は義父だけの土地ではなかったから、裁判になって揉めている。
その対応を年老いてからしなければならないことが「可哀想」と言っているんだろうか…。

最終決定を下す手前まで、息子が全部対処したんですよ。姑の息子である私の夫が、日常を振り回されながら全て処理してきた。今もそうだ。お姑は「子供に迷惑かけられないもんねー」っていいながら。まさか私に言っていたように保険担当者にも話しているんだろうか。
残されたあたしに全部降り掛かってきて大変なんですよ。この家も手放さないといけないなんて、さみしいですよ、、、。みたいな。
想像だけど、どの口が言ってるんだろって思う。負担の話なら私が1番言いたいよね。私の今までの人生に全く関係なかったものを背負うことになったって。


お姑さまのどこが「可哀想」なの?
子供が近くにいなくて、自分で対応するしかない人だっている。私の母がそうだ。
義父がいないとはいえ、お姑には息子たちと孫が近くに住んでいる。困ったことがあれば息子にすぐさま連絡。そして何でも息子がしてくれる状況。それのどこが「可哀想」なの?


はて、何を見て言ってるんだろ?何を知っていてこの担当者2人は「可哀想」と言っているんだろうか?


答えは一つ。
お姑さまがそうやって話をしているんだと思う。自分自身が「可哀想」になる話をしてる。義父でもなく息子達でもなく、孫でもなく、嫁でもない。
ましてや、嫁の両親でもない。
姑自身が可哀想な主人公の話。
恵まれたところにいる自分の環境を「可哀想」として、保険担当者に話をしている。そうとしか思えない。そんな私の考え方が偏ってるのかも知れない?

聞いたことないのよね。「おかあさんが2人を心配してましたよ」とか「子供に迷惑かけちゃって」とか「大変だと思う」って私達を気遣うような言葉。姑さまがそんな事を言ってたって話、聞いたことないのよ。


年金が少ない?私よりお給料が出てたのになんで社会保険に加入しなかったのよ。
年末調整を税理士事務所の事務員さんに無償で教えてもらえる環境にいたのに、毎年何も覚えてこなかった。1年経てば忘れていくの繰り返し。メモすればいいのに言われたことを書いていくだけの人だった。勝手がわかれば自分で計算して先を見据えたお給料計算ができたはずなのに。

今の住まい以外に土地を受け取ったことがあるなら、相続がどんなものか調べればよかった。賃貸ビルを立てて土地と建物を所有することがどういうことなのか知っておけばよかった。
それだけでも今の状況は回避できたはず。自分の為だけでも残すものを考える事ができた。

不動産との交流もあった。家賃を受け取りある程度の帳簿をとっていた。その知識も教えてもらっていた。
事業の経理らしい仕訳も、税理士の事務員さんに雇われてるわけでもないのに当たり前のように教えてもらえる環境にいた。事業の運用の仕方や、お金の回りを見る感覚は他の人より経験として養えたはずだった。それをやってこなかったのは姑本人だ。
それを可哀想って言葉にするの???
私から見たらどこぞのお妃さま待遇なのよ。

自分の旦那に言われた事をただやってきた人だった。それもまた大変なことはあっただろうけど。お姑さまはそれだけだった。
だから第三者が口に出すお姑への「可哀想」は、自分で作っているとしか私には思えない。
家賃収入あるから、老後は年金少なくても大丈夫よねの腹積もりだったとしか私には見えない。


保険担当者が同情めいた言葉をかけるのはビジネスとしか受け取れてないけど。「可哀想」を本人ではなくその息子やその嫁に伝えてくるのは、また別の意味を含んでいるように聞こえる。

お姑は土地と賃貸ビルと家賃収入を、自分の働いたお金以上に手にすることが出来たんだ。そしてそれを拒まずそのまま手にしてきた。その分の面倒な管理や手続きはあったとしても、お陰で今までどれだけ助かってきたんだろうか。受けてきた恩恵の方が大きいように見える。お姑は自分の両親も義両親も、老後をみてきてはいない。自分達の生活を中心にして今までやってこれた人だ。

それならもらった所有物の最後の処理を見るくらいは背負わなきゃいけないことじゃないの?これが可哀想なんて私の価値観には無い。
老朽化してきたビルを1回の修繕もかけずに人生の終わりまで住むつもりでした?あとは子ども達にお願いなんて思ってました?それはあまりにも身勝手だと思う。「先のことばっかり考えても何もできないじゃなーい」ってお姑さまが良く口にする言葉…。鼻で笑うわ。今自分が困ってる状況にいることが麻痺してて分かってない。どれだけ平和なんだろうか。


お姑が「可哀想」なら娘を持った私の両親は、何なんだろうか???


お姑はなんだかんだで、保険担当者に愚痴を聞いてもらい、老後に出てきた問題は息子の次男に処理してもらい、最後は長男家族が同居してみてくれる整った環境におられる。ぬるま湯じゃないかな。
お墓をどうしようとか、納骨堂を見る人がとか、自分で考えなくていい。今回の裁判で家の最後を決めることもできた。家をどうしようもそれもこれも息子が対応した。そしてお姑の場合は、土地と賃貸ビルが売買できる可能性があるっていうね。


何が「可哀想」?
お姑さまはいい気なものだ。