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ブログとしては、たいして内容の違いは無いですけども、
独自ドメインを取ったりWeb制作をやったり色々と1からトライして
自分なりにやってこうと思ってるので、是非見てみてください!
ほぼ毎日更新したいという意気込み。
最近、「感性」というのにめっちゃ目を向けてみてます。




今ここで使う「感性」は、これこれこうだからこうと頭で考えた理屈でなく
五感が感じるそのままのもの、という意味です。




ブラックスワンという本(最近話題の映画の方ではない)を読んでいて
人間は理屈をつけて考えると認識の幅を狭めるなということを強く感じました。

例えば、おれは以前の記事で、セリーヌディオンの歌が感動する理由を解き明かして
自分の歌にも適用したい、的なことを言ってましたが
それは非常にアホな話で
どっかの部分を(例えば声のつやなど)真似たところでセリーヌディオンの感動を自分の歌に適用はできない。なぜなら、声のつや以外はセリーヌディオンじゃないから。
極端に言えば、セリーヌディオンの全ての要素を真似したところで
最終的におれはセリーヌディオンとはそもそも別人なので
セリーヌディオンと同じ感動は呼べない。かもしれない。
「声のつやが感動を呼ぶんだ!」と決め込んで声のつやだけ真似ても
若干上手くなる程度で本質的に変わらないでしょう。

なので、「セリーヌディオン、うまっ、泣けるっ!」ぐらいに思ってる人の方が
感動の真髄に迫れるかなぁということです。



認識の幅でいえば、好みなんかもそうで
「あの人のどんなところが好きなの」とかの話があって
「髪が」とか「目が」とか「性格が」とか色々挙げることで
じゃぁそれが失われたら嫌いになるのかって話になるので
「なんかわからんけど好き」ぐらいのが真髄かなと思うわけです。

「一風堂のラーメンの何が好き」って
「麺の細さ」とか「つゆのとんこつ具合」とか「店の雰囲気」とか
そういう話ではないと。
「なんかしらんけど一風堂が一番」ぐらいがいいかもしれない。

世界の絶景100を見て、レポーターのコメント聞いてる暇があったら
自分で見に行って感動したほうがいいかもしれない。






まぁそんなわけでとにかく、自分の「感性」に素直になることが大事だなと思いました。
理屈で人に説明するのは説明する上で非常に大事だけど
感じるときには、理屈で感じないこと。
感じるままを大事にすること。



目に見えるもののことばかり考えがちで
目に見えないと不安になるけど
(資格を持ってないとその分野に精通してる気がしない、みたいな)

目に見えないもの、想像やなんか
のさらに見えないもの
自分が想像だにしないところ
にも何かが潜んでるなぁという感覚を持ちたい。


答えはそこにあることも多いだろうし。








まぁこうして「感性」について理屈っぽくブログに書いてることも
「感性」についての認識を狭めてるかもしれないんですが、(笑

じゃぁブログを書かないのがいいかというとそうでもなくて
ソクラテスの「無知の知(知らないということを知る)」みたいなもんで
「感性」について、自分の認識の外に大事なことが潜んでる(「感性」にもブラックスワンが)
ということに自覚的になることが大事かなと思うので
意味なくはないはず。

「世の中はゼロイチではない」というのも最近常に思いますが
「感性」にも理屈にもいい面はあり、どちらの存在にも自覚的になりたいなぁ
と思います。

人間の理屈はとても弱いことを知り
意見は、たとえ人には強く言おうとも、
自分の中では常に「違うかもしれない」ぐらいな方が
いいかもしれないですね。






そんな「感性」の感覚を一発で表す、おれの好きな綾戸智恵というジャズシンガーの言葉が
今日のタイトルにもした

「音楽は毛穴で聴く」

です。
おれは、よく「芯がない」って言われます。
ここんとこの二回の記事を通してそのことを思い出しました。(ありがとう)

そう、先月までアカペラ必死にやってた間は
おれは「何によって人に憶えられたいか」を
これまた必死に考えてました。

「何によって人に憶えられたいか」は
ビジネス界では有名なピーター・ドラッカーの言葉で、
おれの解釈では


何によって人に憶えられたいかを明確にし
意識的になることで
やがてその部分において突出し
それが自信になり
やりがい(生きがい)になる


って感じです。

サークルの同期のM氏(笑)が
「自分の武器」
って言葉を連呼してましたが
まさにそういうことだと思います。


サークルにおいては
「リズム感で憶えられよう」
と意識して
あらゆるジャンルのリズムの感じ方、体の動きへのリズムの表し方
など、不器用なりに頑張ってました。

音感がとても重視されるサークルでアカペラをしていて
音感が全然無い自分は常に劣等感を抱いていたんですが
「リズム感で憶えられよう」
を意識してからは
劣等感もなくなり、少しずつ自信につながり、
自分なりにアカペラを楽しめたと思います。




今回何が言いたいかというと
人生においてはそれは何か、を明確にしたい
と思ったということです。

そして、さっきアカペラの4年間を振り返って
「アカペラを楽しめた」
と言ったように

自分がおじいさんになるまでもし生きてた場合にふと、人生を振り返って
「人生を楽しめた」
と言えるようにしたいなと
思います。


そこに行きつくための、右往左往です。
友人H氏が前回の記事にコメントをくれて
考えを明確にする良い機会になったのであえてまた記事にします。



前回の記事に対して彼が言ったのは

「右往左往してると、一つの道に割ける時間が刻々と減ってく。ということは常に頭の片隅に置くべきと思う。」

ということ。


確かに、見方によってはその通りだと思う。


というのは

おれの前回の記事には、明示はしていないけど

「様々な道に対してある程度時間をかけて全力で臨む」

という前提がある。

じゃあそう書けよ、という話だけど、そうもいかないという理由は次回書きます笑

ちゃらんぽらん、ふわっふわっと右往左往というつもりで言ってるのではないということだけ

言っておきます。

そのために「全力で右往左往」としたつもり。


そして、おれの中で人生の過ごし方には「全力で右往左往」と「全力で一本道」という

大きく分けての二択があり

前者は多くのことに手を出してその過程を、自分を見極める過程を、楽しむ生き方。

おれは糸井重里氏にすごい魅力を感じてるんだけど、彼はまさに「全力で右往左往」型だと思う。

後者は自分を早い段階で見極め(させられ)て、とことんその道を突き詰めることを楽しむ生き方。

オリンピック選手とかがそうで、おれは突出した能力がないのでこちらの生き方は考えたことがない。

どちらが良いとか悪いとかではなく、向き不向きとか好みとかだと思います。



で、これらの考えに沿うと、

「右往左往してると、一つの道に割ける時間が刻々と減ってく。ということは常に頭の片隅に置くべきと思う。」

というのは、後者の人の考えとしては大事なことだと思う。

右往左往は気休めでしかないから。




おれにとって、「一つの道に割ける時間が減る」っていう感覚はあまりなくて

まずどっから減るのか、誰と何と対比して減るのかという感じ。

逆に、「一つ一つの時間を費やしていくことを積み上げていく」イメージで生きてます。

一つのことに打ち込むような職業にはまったく向いてないですね笑





自分の考えを磨きたくて、
人の考えを磨くきっかけになったらと思って
やっているブログなので
H氏のようなコメントをいただけるとほんと嬉しいです!

また意見や反論等あったらどんどんください♪
「私はこの道!」

って決めて

わき目も振らずに頑張るのも大事だけど

どうせ一回きりの人生だし

全力で右往左往するのも

大事なんじゃない。

その先にあるのが本当の個性だと

思うし。



今日のヒトフデ
rakugaki:01









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