望陀郡もうだ | 未知の駅 總フサ

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千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

現在の鴨川市の一部、木更津市の一部、君津市の一部、袖ヶ浦市にあたる。
【和名抄】の訓は「末宇太」。または「宇麻具多」「馬来田」とも。
中世、望東郡、望西郡に分れたが江戸期にはこれらと旧畔蒜郡域も併合。
畔治あはる、磐田いわた、表可うわか、飫富おふ、鹿津かづ、河曲かわわ、倉戸くらと、の7郷があった。
巖根村いわね、小櫃村おびつ、金田村かねだ、鎌足村かまたり、亀山村かめやま、神納村かんのう、木更津町きさらづ、清川村きよかわ、久留里町くるり、富岡村とみおか、長浦村ながうら、中川村なかがわ、中郷村なかごう、楢葉村ならは、根形村ねかた、平岡村ひらおか、馬来田村まくた、松丘村まつおか、真舟村まふねの2町17村があった。
地名は『湿地』をいうウタ、クタに接頭語マの付いたものか。『山間の狭所』をいうウタの可能性も有り。


『和名抄』上総国望陀郡7郷
1.畔治郷あはるのごう
平安期にあった郷で、高山寺本・東急本ともに「安波留」。畔治を「くろはり』と読み、それが縮まって「くるり」となったとして君津市久留里付近に比定する説、畔蒜郡の地を割いて望陀郡内に入った部分を畔治郷と称したとして現在の木更津市椿・笹子・犬成の付近に比定する説、小櫃川下流の畔洲(ばんず)と称する崎は「畔治(ばんじ)」の転訛であるとして木更津市の東京湾岸一帯に比定する説、木更津市畔戸(くろと)に比定する説がある。地名は『アハ』は『崖』で『ル』は接尾語か。あるいは『ア』は接頭語、『ハル』は『開墾地』をいったものか。

2.磐田郷いわたのごう
平安期にあった郷で、「岩井」の誤りとして袖ケ浦市岩井に比定する説と「岩出」の誤りとして君津市岩出に比定する説、袖ケ浦市横田・高谷に比定する説がある。地名は元は磐田で山名にちなんだが旱害が度々起こるので水を意味する「井」に変えて「磐井」としたとする説、国勝神社の社伝では日本武尊が東征の際、この地で山の端から朝日が昇るのを見て「天祖の岩戸から出させた様子もこのようだろうか」と申されたことから「磐戸山」と名付け神社を建てて戦勝を願ったという伝承などがある。磐田は「イワ(岩)・タ(処)」で岩のあるところで、「イワ(岩)・イ(井)」で石の多い川の意味。また動詞イハウ(斎・祝)の連用形イハヒで神を祀る場所、禊などをする厳粛なる川の意味でもある。

3.表可郷うわかのごう
平安期にあった郷で、「袁可(おか)」の誤りとして袖ケ浦市奈良輪・蔵波付近の海岸に沿った丘陵地帯に比定する説があるが未詳。地名は「上処」で「岡」と同じ意義。

4.飫富郷おふのごう
平安期にあった郷で、高山寺本・東急本ともに「飫富」に作り、訓は「於布」とする。郷域は袖ケ浦市飯富から木更津市牛袋野・十日市場・有吉にかけての一帯か。負野牛牧を「飫富野」のこととして木更津市牛袋野に比定する説もある。地名は『オ』は接頭語、『フ』は「秀(ホ)」の転訛で「高く突出した地」のことか。あるいは『オバ』の転訛で「崖地」か。または「負う」の意味で「山などを背にした地」とも考えられる。付近には馬来田国造の墓と伝える古墳がある。

5.鹿津郷かづのごう
平安期にあった郷で、高山寺本の訓は「加豆」、東急本は「加津」。比定地は袖ケ浦市勝という説、「老津」、「簏津」の誤りとして小櫃村があった君津市小櫃台・末吉・山本の一帯という説、「鹿」を「象」の誤りとして「きさ」と読んで木更津を意味するという説がある。地名の『カツ』は『カ(上)・チ(方向)』、あるいは『崖、崩壊地』を意味するカチ(搗)の転訛か。

6.河曲郷かわわのごう
平安期にあった郷で訓は高山寺本・東急本ともに「加波和」。館山市国分・山本・大網・安布里・広瀬・腰越・稲付近とする説、館山市西川名付近に比定する説がある。地名は「川の曲流する地点」を意味する。

7.倉戸郷くらとのごう
平安期にあった郷で、東急本は「会戸」と書いている。『くら』が『くろ』に転じたとして黒戸浜の付近、木更津市畔戸・瓜倉・中島などに比定されている。地名の『クラ』は『砂丘の鞍部』の称か。「黒戸」が古いとすれば「黒い砂土の積もったところ」の意味か。また「転(く)る」に関係し、「川、海岸などの廻ったところ」のことか。


望陀郡2町17村
1.巖根村いわね
【合併地】江川村えがわ、久津間村くづま、坂戸市場村さかどいちば、高柳村たかやなぎ、中里村なかざと、万石村まんごくの一部、坂戸市場・神納・牛袋3か村飛地、長須賀村錯綜地
【現在地】木更津市 巖根の地名は現存しない
【地名の由来】地域住民の崇敬を集める神社の祭神・巌根手力雄命にちなむ
【成立時期】明治22年

2.小櫃村おびつ
【合併地】青柳村あおやぎ、岩出村いわで、賀恵淵村かえふち、上新田村かみにった、三田村さんだ、末吉村すえよし、台村だい、俵田村たわらだ、寺沢村てらざわ、戸崎村とざき、西原村にしばら、長谷川村はせがわ、箕輪村みのわ、山本村やまもと、田川村飛地、吉野村錯綜地
【現在地】君津市 小櫃の地名は小櫃台(旧小櫃村台)として残る
【地名の由来】村域を流れる小櫃川に由来
【成立時期】明治22年

3.金田村かねだ
【合併地】牛込村うしごめ、瓜倉村うりぐら、畔戸村くろと、中島村なかじま、中野村なかの
【現在地】木更津市 金田の地名は現存しないが旧村域に散見する
【地名の由来】鉄分の多い金錆びの田地を金田というようである
【成立時期】明治22年

4.鎌足村かまたり
【合併地】草敷村くさじき、矢那村やな、下根岸村・大竹村・阿部村・打越村・横田村・市場村・周淮郡大谷村1町6か村の飛地、下郡村飛地錯綜地
【現在地】木更津市 鎌足の地名は新設地名の「かずさ鎌足」として残る
【地名の由来】村名の由来は藤原鎌足の出生地という里伝にちなむ
【成立時期】明治22年

5.亀山村かめやま
【合併地】折木沢村おりきさわ、香木原村かぎはら、釜生村かもう、川俣村かわまた、黄和田畑村きわだはた、草河原村くさがわら、蔵玉村くらだま、坂畑村さかはた、笹村ささ、滝原村たきはら、豊田村とよだ、藤林村ふじばやし、四方木村よもぎ、加名盛村飛地
【現在地】君津市 鴨川市(大字四方木) 亀山の地名は現存していないが久留里線の駅名や湖名、学校名に残る
【地名の由来】鎌倉期にあった亀山郷に由来
【成立時期】明治22年

6.神納村かんのう
【合併地】神納村のみ
【現在地】袖ケ浦市神納
【地名の由来】飯富の式内社飫富神社の加納田があったことに由来する説、率土神社に神鏡を納めたことに由来する説がある 口碑によれば源平の乱の際、宇治川の戦に敗れた摂津源氏の一党6名が逃れてきて帰農したのが草分けという
【成立時期】江戸期

7.木更津町きさらづ
【合併地】吾妻村あづま、貝淵村かいふち、木更津村きさらづ
【現在地】木更津市
【地名の由来】日本武尊が東征の際、弟橘姫命の死を悲しみ当地を去ることができなかったので、「君不去きみさらず」と呼び、のち「きさらず」となった 古くは「木佐良津」と書いた
【成立時期】鎌倉期

8.清川村きよかわ
【合併地】伊豆島村いずしま、犬成村いんなり、祇園村ぎおん、笹子村ささご、菅生村すごう、相里村そうり、椿村つばき、永井作村ながいさく、中尾村なかお、長須賀村ながすか
【現在地】木更津市清川
【地名の由来】小櫃川に近い事から「清らかな川の近く」という意味で命名したか
【成立時期】明治22年

9.久留里町くるり
【合併地】愛宕村あたご、芋窪村いもくぼ、浦田村うらた、大谷村おおやつ、大和田村おおわだ、川谷村かわやつ、栗坪村くりつぼ、久留里くるり(旧城郭区域)、久留里市場村くるりいちば、小市部村こいちぶ、台村錯綜地だい、寺沢村飛地てらざわ、富田村とみだ、怒田村ぬだ、向郷村むかいごう、吉野村よしの
【現在地】君津市久留里、久留里市場、久留里大谷、久留里大和田 
【地名の由来】平将門の三男頼胤が細田妙見参詣の際、城は浦田山に築き久しくこの里に留まるべしとの御託宣があった故事に由来する
【成立時期】戦国期

10.富岡村とみおか
【合併地】安部村あべ、打越村うちこし、大竹村おおだけ、上宮田村かみみやだ、上根岸村かみねぎし、佐野村さの、下郡村しもごおり、下宮田村しもみやだ、下根岸村しもねぎし、田川村たがわ、滝ノ口村たきのくち、玉野村たまの、堂谷村どうやつ、根岸村ねぎし、吉野田村よしのだ、戸国村飛地、百目木村飛地
【現在地】木更津市(上根岸、佐野、下郡、田川、根岸) 袖ケ浦市(安部、打越、大竹、上宮田、下宮田、下根岸、滝ノ口、玉野、堂谷、吉野田) 富岡の地名は現存していないが木更津市、袖ケ浦市の旧村内にある建物名や学校名に残る
【地名の由来】豊作を願って『富』、丘陵部にあることから『岡』をあてたか
【成立時期】明治22年

11.長浦村ながうら
【合併地】久保田村くぼた、蔵波村くらなみ、代宿村だいじゅく
【現在地】袖ケ浦市
【地名の由来】浦に並行して横に長い地勢であたことから命名したか
【成立時期】明治22年

12.中川村なかがわ
【合併地】大鳥居村おおどりい、百目木村どうめき、横田村よこた、真里村錯綜地、下内橋村錯綜地
【現在地】袖ケ浦市 中川の地名は現存しないが旧村内の学校名などに残る
【地名の由来】村域の中を小櫃川とその支流松川が流れていることによるか
【成立時期】明治22年

13.中郷村なかごう
【合併地】有吉村ありよし、井尻村いじり、牛袋村うしぶくろ、牛袋野村うしぶくろの、大寺村おおてら、上望陀村かみもうだ、下望陀村しももうだ、曽根村そね、十日市場村とうかいちば、中島・牛込・神納3か村飛地
【現在地】木更津市 中郷の地名は現存しないが旧村内の学校名や建物名に残る
【地名の由来】村域に上望陀・下望陀を含んでいたことから望陀郡の中心地という意味で命名したものか
【成立時期】明治22年

14.楢葉村ならは
【合併地】奈良輪村ならわ、坂戸市場村さかどいちば
【現在地】袖ケ浦市
【地名の由来】奈良葉村が往古は楢葉村と記されていたという伝承から村名として命名 楢葉は楢の木が生い茂り、その葉が重なり合っていたことからとも、奈良から都落ちした福王の宮が住んでいたことによるとも
【成立時期】江戸期

15.根形村ねがた
【合併地】飯富村いいとみ、岩井村いわい、大曽根村おおぞね、勝村かつ、下新田村しもにった、野田村のだ、三黒村みくろ、三ツ作村みつざく、谷中村やなか
【現在地】袖ケ浦市 根形の地名は現存しないが旧村内の学校名や建物名に残る
【地名の由来】不明
【成立時期】明治22年

16.平岡村ひらおか
【合併地】永地村えいち、上泉村かみいずみ、川原井村かわはらい、三箇村さんが、下泉村しもいずみ、高谷村たかや、永吉村ながよし、野里村のざと、林村はやし
【現在地】袖ケ浦市 平岡の地名は現存しないが旧村内の学校名や建物名に残る
【成立時期】明治22年

17.馬来田村まくた
【合併地】大稲村おおいね、茅野村かやの、茅野七曲村かやのななまがり、下内橋村げないばし、戸国村とくに、真里村まり、真里谷村まりやつ、山本七曲村やまもとななまがり、下郡・山本・三箇3か村錯綜地、百目木村飛地
【現在地】木更津市 馬来田の地名は現存しないが久留里線の駅名や旧村内の学校名に残る
【地名の由来】古代に馬来田国造が居住し馬来田の峰があったことからつけられたか 『馬来田
』は『ウマキダ(牧田)』の意味で馬を囲って牧畜する所をいう説、『湿地』をいうウタ、クタに接頭語マが付いたという説、『ウタ』は山間の狭所をいうという説がある
【成立時期】明治22年

18.松丘村まつおか
【合併地】大戸見村おおとみ、大坂村おさか、加名盛村かなもり、大中村だいなか、高水村たかみず、利根村とね、平山村ひらやま、広岡村ひろおか、柳城村やなしろ、山滝野村やまたきの、藤林・笹・豊田・川俣4か村飛地
【現在地】君津市 松丘の地名は現存しないが旧村内の学校名や施設名、JR久留里線の駅名などに残る
【地名の由来】村の中央の丘上に弘文天皇(大友皇子)の親裁にかかるという3株の老松があったことに由来
【成立時期】明治22年

19.真舟村まふね
【合併地】太田村おおだ、桜井村さくらい、請西村じょうざい、周淮郡下烏田村飛地
【現在地】木更津市真舟
【地名の由来】村域を矢那川が流れていることから船着場があったことにちなむか
【成立時期】明治22年

 

参考文献

角川日本地名大辞典12千葉県/角川書店