9月30日(火)に予定通り読書会を行いました。
場所は中崎町・朱夏。
今日は、飛び入りでチューターの奥様も参加。女性が少なめだったので、来てくださってよかった。

課題図書:谷崎潤一郎「痴人の愛」 (担当はチューター)

【チューター】細雪は長過ぎるんで、こっちにした。38歳くらいの頃書いていたけれど、この作品以降が傑作が多い。その出発点として取り上げた。新聞小説。長篇の連載ではこれが最初か。中断したけれど、「女性」という雑誌に継続できた。読者のための、風俗小説でありながら読み継がれる、今読んでも面白いのはそれをクリアした小説。谷崎文学へのいざないとして取り上げた。

【うかわ】細雪を随分前に読んだ。それは難しい、古いなという印象。大正時代の話なのに今読んでも違和感がない。書かれてる内容も、今に置き換えてもおかしくない。注釈見ると固有名詞が出てくる。固有名詞を使うのは長く残らない説はあるけれど、この作品(作者)は先駆者。ナオミの生き方が今いてもおかしくない。憧れる女性も多いのではないか。痴人はナオミか。今となってはステレオタイプの小説かも知れないけど、大衆小説の先駆者としてスゴいひとだったんだな。

【ひるね】面白かった。平易な文章でそれが意外でした。ナオミを魅力的と見るか否かと思って読んでいて、カフェの頃を基準として豹変するところは嫌な女だけど、親に捨てられた出自を見ると野性味があって魅力的。二回目読んだとき、ナオミと譲二がどこで立場が逆転するかというと61Pの英語ができないところを諦めたとき、男と女の主従関係が逆転か。
ナオミって貧しいけれど、旗本の娘で家系はいい。譲二は金持ちだけど田舎の農民。なのでどこかで主従が逆転する運命なのかな。
最後、ジョージとカタカナで呼ばれるところが、谷崎の皮肉か。西洋人の奴隷になった。(家畜?)
悲しい男の話。ジョージは名前でしか西洋人になれない。
痴人=譲二 のことか。

【ざにー】面白かった。ずっと本棚にあったけど、読んでなくて、読むとのめり込めた。痴人=譲二。
語り口を読むと、賢そうだけど、最後の方を読むとアホだなと。
文章の巧さとは、自然に読めるなあ。文章的に平易なのが古さを感じさせない。
起承転結がハッキリしてる作品。転が不倫が発覚する当たり。半分過ぎあたりに。


【あお】高校生のとき読んだから、およそ二十年ぶりに再読したんだけど、ストーリーをかなりちゃんと覚えていたことに自分でもびっくりした。それが近代文学の強さかな。近代文学の構造+大衆性(ちょっとエッチ感。変態感)が合わさって、それでこれだけ鮮明に覚えているのだろう。最近の純文学でも1、2年前に読んだストーリーを説明できないこともある。
高校当時の読みとちがうのは、「痴人の愛」の痴人を、当時はナオミのことだと思い込んでいたこと。ナオミがパッパラパーな女で、それに対する男のひたむきな愛だと解釈していたのだけど、今読むと、痴人は主人公の譲二のことだった。
主人公は、現代から見るとキモいおっさんだけど、当時はハイカラなものが好きで、日本の古いしきたりが面倒くさいと思っている。それで、バタ臭い顔のナオミにも惹かれ、英語を習わせたり自立した女性を求める。しかも、最後は囲った女に尻に敷かれる。そういうところが大正14年当時は新鮮に映って人気作品になったのではないか。
陰影礼賛を読んでいたので、谷崎の西洋と日本の美の認識の違いは理解していたので、ナオミは日本人が憧れる西洋の象徴のように読んだ。しかし、ナオミと西洋人女性との違い、後半のナオミのケバケバしい格好に対する批判めいた書き方などを見ると、ただの象徴ではなくて、やはり日本の美、粋のあり方をナオミを通して作者が主張しているように見える。

【きー】戯画やと思って読んだ。西洋コンプレックスに凝り固まってるところ。いわゆるバカップル。男性読んだらみんな恥ずかしいのではないか。いつの時代にもどこの国にもあるのかな。普通のカップルが下地にこれがあるのではないか。
譲二が追っているのはナオミの虚像であり自分の性欲。話題が尽きないので、なんて楽しい小説なんかと思った。
テンポのよさと文章が気取ってなく、しっかり書いている。
決して濡れ場を書かない。それを見せない。チラリズム。濡れ場を書くと男性読者を満足させてしまう。倦怠がただよってくる。ミッシェル・ウェルベック 性欲に溺れているけれど、虚しさを狙って書いている。
それを見せないので、このバカップルがどこまでも続く。
マゾにとっては最高の女。ここまで徹底的なサディストな女性はいないかな。
変態ぶりを包み隠さずマゾの心理を暴いている。
前半で、お人形さんみたいに着せ替えするところが楽しそう。

【チューター奥様】谷崎読んだのが四、五年前。細雪から読んで、たで食う無視、吉野葛、などが好き。
岡本の痴人の愛のモデルの家を見に行って、他のと比べて風俗小説と思って面白くなかった。
久しぶりに読んでみようと思ったら、今は面白かった。
小説書いていると、長い文章でもわかりやすい。ナオミの瞼の描写(貝)やダンスシーンの女性の観察の細かさなどがいい。
なので、風俗小説でも面白いのかな。やはり、これだけ別の味わい。新聞小説だから、わかりやすい書き方なのかな。
戯画化されてると感じた。痴人=譲二。
男のひとは、若い女性を自分好みに育てたいのかな。15~23歳のナオミ。とにかく外見。耽美主義。柴崎友香の見とれていたい、女性が奇麗な女性を書いている。
異端者の悲しみ、黄色の死、など前期にある。
ぜひ、細雪を。

【チューター】源氏物語の若紫といっしょ。あれは妻になって終わりだけど、これは逆転するのが面白い。男にはそういう気持ちがある。マゾヒズム。自分が虐げられた風に見せかけて支配するけど、これは支配されっぱなし。戯画的と読んでいいのか。
ダンスホールの場面なんて、肌の色のことを書いている。
東京から関西に来てすぐ書いた作品。ハイカラから日本の美に気づきはじめる過程が読める。
谷崎って服装に目がいく。これだけ風俗書いても大丈夫なんだな。男が女を育てるっていうのはコアにある。
告白体だけど、説明をフォローする描写できっちり書くからいいのかな。
告白体は書きやすい。いつ二人が戻るのかと思って読む。
ナオミが最後英語ペラペラになるのは、めっちゃ皮肉。譲二の反応が特殊な反応はしない。一般読者が思うような反応になる。
それをぐーっと捻っていって読ます。

【きー】服(衣装)が好きなのかな。

【いしい】中学生で読んでいて。痴人の愛だけは痛くて二回読めなかった。自分が崇拝している人自身が自分を貶めているように読んでしまった。話としてはプリティ・ウーマンみたいなシンデレラストーリー。ちょっとずつナオミが自我が芽生えるところが痛い。女の人を育てたい願望は源氏物語でも書かれているので、男性にはあるのかな、独占欲でもない、なんだろうな。最後はいろいろあるけど、女の子はいじらしさがあったのに、英語を習い出したあたりで関係性が変わる。
寝取られの話かな。蚊帳の場面はいろんな男性と交わったあとだった。
追いかけていってマント一枚で歩いている。
浮気は浜野くんと実はというところぐらいで、そこまで引っ張ったからよかったな。
嫉妬はなんなんだろうな。
痴人というか、痴愛の人、というタイトルがふさわしいんじゃないかな。
本当に愛だったのか、と何度も考える。
久しぶりにあったナオミが白人みたいになってる、ってところをすごく考えた。見た目の価値観に引きずられていくと破滅する。
きちんとした価値はそこにはないのだよという教訓めいた感じがあるのかな。
ナオミに愛(感謝)はあったのか。譲二は蝶よ花よと育てたため、ナオミは体を武器にするようになったのかな。
その当時のカフェの女給はキャバ嬢みたいな感じか。

【きー】この娘、めっちゃ擦れてて、頭いいと思う。

【ひるね】AKBが好きな男性ファンも、女の子を育てる感じ。

【チューター】譲二が浜野くんと共感するところ、笑う。

【ざにー】若くて奇麗な女性見せびらかせたいのは、それよりも外見の魔力? 男は外見的に釣り合わないところで卑屈になる。

【チューター】これが書かれた当時、エログロナンセンスな時代。

ナオミは江戸っ子だから、刹那的な生き方?


次回課題図書:森敦『意味の変容・マンダラ紀行』(講談社文芸文庫)から「意味の変容」、(ちくま文庫にもkindle版で「意味の変容」あります)
担当はばんぱくさん

日時:11月18日(火)7pm~
場所:朱夏