ここ1週間くらいで、片方の視力が落ちました。

 

ここんところ頭痛(というか、顔面痛)と一緒に目が痛いなーと思ったんだけど、これまでにもあったし薬を飲み過ぎるのも控えたいしなーと様子を見ていたのですが。片方だけ、急に文字が読みにくくなった💧💧

 

実はこれ、2度目ですのよ…

 

そして以前も原因不明って言われたんですのよ。なので今度もきっとそうなることでしょう。でも病院にはかかります、一応。あああ面倒。

(状況に反して、「大丈夫ですよ-」とかのんきに言われるのがとってもストレスなので受診したくないorz…症状が面白すぎて診断がつかないのだった)

 

とりあえずは市販の痛み止めを飲むことにしまして、幸い今のとこ視力にそれ以上の変化はないみたいです。

 

ぼちぼち不健康道を邁進中です。やれやれ。

 

 

〈視力って説明しにくい〉

 

ところで「視力がおかしい」のって、意外に病院で説明しづらいものだなあと、以前思いました。

 

いや「目の前に指を何本出してるか見えない」とかだったら、さすがに聞いた方もやばいってなりますけど。あと「視野が欠けてる」とかだと医師に伝わりやすいでしょうが。

 

でも「ある距離で読めていた字が、ぼけて見える」ってのはなかなかに微妙というか…。

例えば「1週間前に視力0.8だったのが0.1になった」とか、数値で言えるとまだいいんですけどね。しかし人間はそんなしょっちゅう視力検査をしない。ので数値がわからない。

 

〈そして病院で自己主張するのって大変〉

 

伝えづらい要因のもうひとつが、「でも変なんですよ」と病院で主張しないといけないんだけど、この主張自体が苦手だということですね💧💧

 

思うにこれは、なんとなく丸く収まる方へ合わせようとしてしまう自分の性格に関係するのかもです。

 

「実は前から視力が落ちてたのに偶然今回気がついたんじゃないの?」

とか言われると(前回そう言われた)、違うけど、「そうかも」と言っておいたら丸く収まるな…と期待された答えを言ってしまう的なところが、はいはいありますね。だめですね。ただでさえ病院でのコミュニケーションて独特な状況ですし、しっかり準備してかからないとなんですよね(ああ面倒)。

 

むかーしアサーティブトレーニング(コミュニケーションの一種)の講座を受けたことがありますが、いわく

 

「大事なことは壊れたレコードのように何度でも繰り返して伝える」

 

のが重要なんだそうです。

何それ大変(^_^;

 

そして「調べて分からないならしょうがないか」と速やかに諦めてしまう、私の粘り弱さも敗因でしょう。

身につけたいですね、粘り。不足してます。

 

それはおいといて。

今日は、今年初めての筍を煮ました。

 

皮をどこまでむいていいもんか悩む…。

むいたらちょこっとになっちゃいましたが、大事にいただこうと思います。

筍ご飯かな。