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第六回

「愛と恋の違いって何だと思う?」「好きなのか分からない」「愛だねぇ~」

そんな言葉を、よく高校でも耳にする。

 

「愛」ってなんだろう。

 

人間からは切っても切り離せないもので、誰にでも共通するものの一つだ。

 

私は、「愛」が何なのかずっとわからなかった。特に理解できないのが「無償の愛」「恋愛」だった。

なぜ家族だから、子供だから愛することが決まっていて、それが普通なのか。

自分が親だったら必ずしも愛せる自信なんてどこにもないし、今も心の底から家族を愛しているかと言われると、「愛」についても漠然としているし、自信がなかった。

そして、将来、人を愛して家庭を持つことができる自信がなかった。

私は、人を減点法で見てしまう癖があり、原点ポイントがたまるにつれて、失望していってしまうのだ。

勝手に人を偶像化して、期待してしまっているのかもしれない。

 

そんな時、ある一冊の本に出会った。エーリッヒ・フロムの「愛するということ」

世界的名著として名高いこの本を、私は最近まで知らなかった。「木曜日は本曜日」というYouTubeチャンネルで、加藤シゲアキさんが紹介していた本だった。

 

正直、私はこの本の7割程度しか理解していないと思う。(理解していることが間違っている可能性も加味して。)

けれど、私なりに「愛」について考え、現時点での答えが出た。

 

まず、私は「愛」というものの大枠の概念からどうも間違えていたらしい。

というのも、「恋」と「愛」が混在していたようだ。

恋は、人間が動物的な感情をもって、孤独から逃れたいがために、一時的に燃え上がる現象のようなもので、孤独から解放され、自分の相手が見つかったことによる喜びから、最初は相手の嫌なところも見えなくなっている。

そしてこの「恋」を「愛」にうまく変遷していくことが難しいがために、人間は出会いと別れを繰り返すそうだ。

 

「愛」というのはその人間が成熟していないと作り出せないもので、成熟のキーとなるものが、「知」「責任」「尊重」「配慮」だ。これら4つを正しく発達させることができた人間が、人に愛を与え、愛される存在となるそうだ。「愛すること」は能動的な行動だそう。

 

「ナルシスト」という言葉と「自己愛」は実は対極に存在するものだそうだ。

「ナルシスト」というのは、「愛」に必要な4つの鍵が備わっていない、未熟な人間が、孤独から逃れるべく、利己的に自信を愛することだ。

一方、「自己愛」というのは自身を正しく愛することができている状態。

つまり、自己愛なしにして、人を愛することはできない。

ナルシシズムに陥っている人間が他者を間違った方法で愛してしまうと、他者に愛を与えるのではなく、愛されたいから愛する、という能動的且つ利己的なものになる。

 

私は、よく「今は自分が未熟だからこそ、いろいろとやりたいことが多くて、人のことに興味を持ったり、好きになっている余裕がないんだよね。」と友達に話している。

私は今、自分に自信がなく、自分のことを正しく愛せていないからこそ、違うもので埋めようとするがあまりに、ナルシシズムに陥っている状態なのだと思う。だからこそ、人のことが愛せないし、他者を受け入れられないところがある。

だからこそ、「知」「責任」「尊重」「配慮」をまずは自分自身に向けてみたい。

でも、それらを他人に向けるということはどういうことなのか想像がつくけど、自分に向けるっていったいどういうことなんだろう。今はそこを日々思案している。

 

立派な大人になりたいな。

 

この本はきっと、人生経験を積むにつれて、読み方や解釈の仕方が変わってくる気がする。人生でずっと手元に置いておきたい本だ。知人や友人が結婚するとき、出産をするときに将来プレゼントしたいな、と思った。

 

私もいつか自分を正しく愛する能力が身について、人を愛せるようになるといいな。