『無償の愛』
と言葉があるということは
『愛』は無償ではない。

という前提があると考えていたりします。

 

 

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 Bookcafe『薬膳堂』店主、たかねぇです。
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実は『愛』とは何ぞや?

とよくわかっていないのが本音です。

 

愛が大切とか
愛情を持ってとか。

 

『愛』って物凄い抽象的な概念。

 

『愛』がよくわからない
というのは、少し違っていて
本音を言うと
私は『愛』について
良いイメージを
持っていなかったりします。

 

『愛』って偏りだから。

『愛』を持っていいるモノは
とても大切にしても
『愛』を感じないモノに対しては
とても残酷なほど
冷淡な態度をとる。

 

『愛』という
漢字の成り立ちを聞いて
漠然と感じていた『愛』への嫌悪感。
その正体がわかった。
(※諸説あります。)

 

 

 

上の画像は、『愛』という漢字を
象形的に分解した図です。

家の中にいる人(心を持つ)を
足元から奪いとる(手で)。
という意味がある。

 

という解説を聞いて
✨目から鱗!✨
納得できてしまった…(;^_^A
腑に落ちるってこんな感じだ。

 

『これ好き。』っていうモノは
手に入れたいとか
自分のモノにしたいとか
自然と考えてしまう。

好きな人ができたら
その人のそばにいたい。
と考えませんか?

 

好きが大きくなるほど
冷静でいられなくなる。

 

これは確実に『偏り』なんだなぁ。

 

私は薬膳や風水をやっています。
東洋思想、
特に陰陽や五行説を重要視しています。
大切にするのはバランスが取れている
中庸の状態です。

 

身体の不調も
バランスが崩れた状態だと考えています。

 

『愛』を持つことが
実はバランスを失いやすい状態を生み出す。

 

誤解のないように
補足説明しますが
バランスが崩れやすいから
何かを好きになることが
悪いとかいうお話ではありません。

 

何かに夢中になるのは
むしろ
人間として幸福に生きるのに
必要不可欠なものだと思っています。

 

ただ、『好き』の持つ感情には
裏側となる別の側面もあって
『好き』の度合いが大きい分
裏側となる別の側面も
同じ大きさになります。

 

光と闇は表裏一体。

 

バランスを常に取っています。

光が小さければ
闇も小さいし

闇が大きければ
光が大きくなる。

 

『愛』というものは
『好き』と似ているとは感じますが

もしかしたら
もっともっと
大らかで、穏やかで、暖かくて、
懐の広いものなんじゃないかなぁと
改めて考えてみました。

 

きっかけをつくったのは
相方の存在。

 

華があって、明るくて
屈託ない無邪気さを持つ
彼は
ホッとする安心感と
刺激をプレゼントしてくれてる
私にとってのパワースポット。

 

その相方がよく
『愛』の話をします。

 

『愛』に対して
微妙な不信感を持っていた私は
もしかしたら私は
『愛』を勘違いしているのかもしれない。
と思うようになって

『愛』について
ちゃんと深掘りをしてみようと
試行錯誤していました。

 

『愛』について
いいように思うような投稿であったり
書籍や動画。
時には何かの講座だったり。

ようや仮説を立てることができました。

『愛』とは何か?

それは、許し。

存在を許すこと。

良いとか悪いとか

判断することなく
湧き出る感情や願望。

 

ポジティブな自分も
ネガティブな自分も
メリットもデメリットも
すべて含めて。

 

そこに生きていることを許すこと。

 

ここに存在していることを
受け入れ
認めること。

 

自由であることを許可すること。

 

自分を自由に解放すること。
解放した結果をすべて
受け入れること。

 

自分と自分を取り巻くすべての世界を
わかろうとすること。
理解を深めること。

 

なんじゃないかなと
検証中です。