あの人に会うために歩く、ベルリンのあらゆる通りに物語が有るーーー
◇百年の散歩◇
多和田葉子
都市は官能の遊園地、革命の練習舞台、孤独を食べるレストラン、言葉の作業場。世界中から人々が集まるベルリンの街に、経済の運河に流され、さまよい生きる人たちの物語が、かつて戦火に焼かれ国境に分断された土地の記憶が、立ちあがる。「カント通り」「カール・マルクス通り」他、かつて国境に分断され、いまや世界中の人々が行き交うベルリンに実在する10の通りからなる連作長編。
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1.カント通り
(Kantstarße)
2.カール・マルクス通り
(Karl-Marx-Starße)
3.マルティン・ルター通り
(Martin-Luther-Starße)
4.レネー・シンテニス広場
(Renée-Sintenis-Starße)
5.ローザ・ルクセンブルク通り
(Rosa-Luxenburg-Starße)
6.プーシキン並木通り
(Puschkinallee)
7.リヒャルト・ワーグナー通り
(Richard-Wagner-Starße)
8.コルヴィッツ通り
(Kollwitzstarße)
9.トゥホルスキー通り
(Tucholskystarße)
10.マヤコフスキーリング
(Majakowskiring)
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「百年の散歩」です(・∀・)
多和田葉子女史は現在ベルリン在住の国際作家ですが、そのベルリンの実在する通りを歩いて彼女が思った感じた経験体験した記憶を文字に表したのが本書です。
あらすじだけ読むとエッセイみたいなんですが、読むと「ああー……これ、小説だなぁ……」と思います。というのも時々通りの過去の記憶が、人々が感情が語り手の「わたし」の前に顕れるから。日常の隣、いや日常の中に溶け込んで必要な時にだけ姿を表す非日常の片割れが文字になります。通り全ての経験記憶全ての感情が「わたし」が目にする思うことで呼び起こされる。通りは息をしていると感じます。
物語の「わたし」は絶対に会うことのない「あの人」と会うために歩いています。この「あの人」とはもしかしたらベルリンそのものかも? 今はコロナコロナコロナ……て旅行など無理ですが、もしベルリンに行く際は本書を持っていくと一味違う旅行が出来るかも?
「百年の散歩」でした(・∀・)/
さて、ここで多和田葉子女史は一旦おしまいです。次は久しぶりの……あの人!? こんな犯罪的な面接があるか!?(*^o^*)/←