かだいとしょ:「君の膵臓をたべたい」住野よる(双葉文庫)
「この女の子と、(個人的都合による)別れが無かったら、相思相愛だっただろうな……」
振り返るだけで、無駄な淡い高校時代の女の子との想い出を、プレーバックすることが多々ある。その叶わなかった想い。その女の子とは、中3の時の高校受験対策の塾で、互いの学区は、当時の行動範囲であれば、沖縄と北海道ほど違う女の子であった。京都の舞妓さんの様に、「ウチ」と連発する可愛さの持ち主。猛勉強の末、同じ高校に進学し、隣のクラスであったけれども、部活動と学業の忙殺により、ただ携帯電話の番号を何となく交換しただけであった。
だが、急接近のきっかけとなったのが、いち地域の予備校から、某大手予備校への転塾への造反行為を一緒に(同時期に)したことだった(ちなみに、そのいち地域の予備校の関係者によると、未だに転出する背反行為をする学生は少なくないらしい)。従来の学区より、更に都会的な立地条件の中での、田舎者の男子と女子。それは、パラダイス。授業の合間や帰宅の途の電車はずっと一緒。個人的な都合による高校生活の終焉が無ければ、上手いことにだったろうという、根拠無き理由がある。けれども、後々、罹患する病気から奇跡的に生還が叶ったことが、この子との別離との引き替え条件という、お告げだったのだろう。
まあ、いずれにせよ、中高生の男女の仲って、本当によく分からない。「えっ、こんな意外な二人の巡り合わせがあったのね」とか、「こんな真面目な男な癖によくモテるんだな」とか。そんな、15・16・17…、と人生のどん底な中。私が生死を彷徨っている中で、罹患したきっかけとなった、ストレスの源の、くせ者(K氏)は、別離した際と、回復して再開した後、付き合っている女の子が別人だった。それを知ったとき。「そんな人様が大変なときにアバンチュールしやがって…」と殺意を覚えた奴もいたが、所詮そんなもんなんですよね。思春期って。
ただし、中高の学生時代の「別れの後(跡)」の処理の仕方が、これまた難しい。学生としての学業という本分は継続(進行)中なのだ。「二人の仲、閉店しました」と宣言しても、学生という事実は営業中。卒業後の別世界へ向けて、ボンボヤ―ジュ(出航)するまで、同じ船に待機しなければならない。それは、酷すぎる。
それを考えると、中高生の恋愛から、生死を彷徨う体験をしたことにより解放されたことは、ある意味、幸せだったのかも知れない。逆に、先述の「この野郎!」と思ったK氏。、つまり、俗に言うプレイボーイっていう男子学生は、その地雷処理(別れの跡地の再開発)という「苦行」に勤しんでいたのだろう。
しかしながら、生還した後、私も絶世の美女(17歳の時に3歳年上、個人的観測)と、映画や花火大会を見に行く仲も、その後、失恋の、こじらせを引きづったまま、更なる学業のフィールドへと進学した。他者を分析する資格は結局は無いのだが。
<完>
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君の膵臓をたべたい (双葉文庫)
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