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ほんだな

本棚から本を引っ張り出して読むように、新たな驚き・発見・喜怒哀楽を得ることができるそんなブログでありたいです。


音楽あれこれ


やっぱ好きやねん/やしきたかじん

 
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何で、33歳の小僧が、こんな唄をプッシュするのか、不思議がられるでしょうが、たかじんさんの声は甘くて切ないんですよね。一方、歯に着せぬマシンガントークとの、「ギャップ」が相まって。

コンサートでの、たかじんさんの「喋ったあと、の曲中にトイレに行って下さいね」との語り癖も有名です。こういう所は、さだまさしさんや、SMAPの中居正広さんが、コンサート中に行う口上と共通しています。名(迷)エンタテイナーでした。

2014年1月上旬の訃報を知った時(1月3日に逝去)は、唄の練習から帰って来て、夜の最終発のニュース番組で速報として入って来て愕然と来ました。かつての芸能人の訃報として1番ショックで。

特に、師弟関係だった、フリーアナウンサーの宮根誠司さんの、訃報発表の翌日の「ミヤネ屋」で、「何で死んでくれてんねん」「きっと天国には行ってへんと思います」と、涙を堪えて、気丈に振る舞っていたのは忘れません。その大阪は涙雨。スポーツ紙には、「たかじんが死んだ、大阪が死んだ」と評されていました。

けれども、素晴らしい楽曲と暴走トークは今も心の中に留まっています。特に、「そこまで行って委員会」が人気となり、在阪局のたかじんさんの番組が、結構、東海地区もネットする様になりましたが、「もうええわ〜、帰るッ!」とスタジオを去って、たかじんさんが居なくなった、シーンとなったスタジオと共演者を映して、番組が終わる。あのセンセーショナルなエンディングは、それを越える番組はもう無いでしょう。

最後の楽曲となった、橋下徹さんを中心に、大阪を盛り上げるテーマソングとして制作された唄「その時の空」も、途中から、子供たちのコーラスが入ってほっこりします。

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また、逝去されたあと、玉置浩二さんがカバーした、「やっぱ好きやねん」も心にグッと来ますね。

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以上、音楽あれこれ、でした。

かだいとしょ:「君の膵臓をたべたい」住野よる(双葉文庫)


「この女の子と、(個人的都合による)別れが無かったら、相思相愛だっただろうな……」

 

 り返るだけで、無駄な淡い高校時代の女の子との想い出を、プレーバックすることが多々ある。その叶わなかった想い。その女の子とは、中3の時の高校受験対策の塾で、互いの学区は、当時の行動範囲であれば、沖縄と北海道ほど違う女の子であった。京都の舞妓さんの様に、「ウチ」と連発する可愛さの持ち主。猛勉強の末、同じ高校に進学し、隣のクラスであったけれども、部活動と学業の忙殺により、ただ携帯電話の番号を何となく交換しただけであった。

 

 が、急接近のきっかけとなったのが、いち地域の予備校から、某大手予備校への転塾への造反行為を一緒に(同時期に)したことだった(ちなみに、そのいち地域の予備校の関係者によると、未だに転出する背反行為をする学生は少なくないらしい)。従来の学区より、更に都会的な立地条件の中での、田舎者の男子と女子。それは、パラダイス。授業の合間や帰宅の途の電車はずっと一緒。個人的な都合による高校生活の終焉が無ければ、上手いことにだったろうという、根拠無き理由がある。けれども、後々、罹患する病気から奇跡的に生還が叶ったことが、この子との別離との引き替え条件という、お告げだったのだろう。

 

 あ、いずれにせよ、中高生の男女の仲って、本当によく分からない。「えっ、こんな意外な二人の巡り合わせがあったのね」とか、「こんな真面目な男な癖によくモテるんだな」とか。そんな、15・16・17…、と人生のどん底な中。私が生死を彷徨っている中で、罹患したきっかけとなった、ストレスの源の、くせ者(K氏)は、別離した際と、回復して再開した後、付き合っている女の子が別人だった。それを知ったとき。「そんな人様が大変なときにアバンチュールしやがって…」と殺意を覚えた奴もいたが、所詮そんなもんなんですよね。思春期って。

 

 だし、中高の学生時代の「別れの後(跡)」の処理の仕方が、これまた難しい。学生としての学業という本分は継続(進行)中なのだ。「二人の仲、閉店しました」と宣言しても、学生という事実は営業中。卒業後の別世界へ向けて、ボンボヤ―ジュ(出航)するまで、同じ船に待機しなければならない。それは、酷すぎる。

 

 れを考えると、中高生の恋愛から、生死を彷徨う体験をしたことにより解放されたことは、ある意味、幸せだったのかも知れない。逆に、先述の「この野郎!」と思ったK氏。、つまり、俗に言うプレイボーイっていう男子学生は、その地雷処理(別れの跡地の再開発)という「苦行」に勤しんでいたのだろう。

 

 かしながら、生還した後、私も絶世の美女(17歳の時に3歳年上、個人的観測)と、映画や花火大会を見に行く仲も、その後、失恋の、こじらせを引きづったまま、更なる学業のフィールドへと進学した。他者を分析する資格は結局は無いのだが。 

 

<完>