カンザキイオリさんのアルバム『白紙』が届きました。
まず、我が家にはCDプレイヤーが無いので肝心のCDを聴けていません。それじゃあ今から1600字弱程度長々と綴られているのは何の文章だよ。
取り敢えずこれは同封されていた『白紙録』の簡単な感想、それから去年の即売会と、私の中でのカンザキさんの話です。
二、三年前私が学校が嫌になって放り出して、丁度夏頃『君の神様になりたい』と出会った時と同じ年頃のカンザキさんの話を読んで…なんだろう、気持ちを形にするの難しいな…曲にして過去を今を形にできるカンザキさん凄いな。生きていてくれてありがとうございます。このアルバムでまた新しい貴方の形を少しでも知れて嬉しいです。この感想はちょっとキモいな。消さないけど。
こんな言い方はおかしいのですが、カンザキさんの今までの人生で沢山あった苦しいこと辛いこと嬉しかったこと、その中で一つでも欠けていたら私はこんなにも数々の曲に心を打たれることが無かっただろうと思います。実際、私はカンザキさんが失恋をした事で出来た『告白』が好きです。カンザキさんが自分を何度も殺して、涙しながら作った『君の神様になりたい』が大好きです。苦く甘酸っぱいカンザキの思い出やカンザキさんを取り巻く辛い事柄が私は多分好きなんです。文字に起こすと軽く悪趣味だと私も思います。
話は変わり私の自慢と痴態の話になるのですが、昨年の即売会で私はカンザキイオリさんに直接アルバムの『結局死ぬってなんだ』を渡して頂けたと思います。正直緊張でカンザキさんの顔も、声も、服装も、自分が何を言ったのかすらも覚えてないんですけど、多分やたら震えて軽く裏返った声で何か在り来りなことを言いました。自分の番が来てmsyさんのCDとカンザキさんのアルバムを一つずつ頼んだ後カンザキさんとmsyさんが「もうCD無いの?」と会話していた時は冷や汗が止まらなくて心臓が喉まで出かかっていました。残り少しだったらしいです。段ボールか何かから真っ黒なのケースと白いCDが出てきた時は表情緩みまくって凄い顔してたのかな…恥ずかしいな。CDを渡してくれたカンザキさんの手はとても温かくて、少し汗ばんでた気がします。私の手は更にギトギトだったと思います、 ただただ申し訳ない。その後一緒に来ていた後輩に号泣しながら「カンザキさん生きてた」と伝えました。当たり前な事言ってますけど、画面の向こうであんなにも沢山の人の、私の心を揺らす曲を作る人が実在するというのが私にはまだ信じられてなかったんです。初めての即売会があの時で良かったな、あまりにチープな表現ですが一生の思い出です。でも今思うと周りに沢山の人が居て、いちおう私も後輩で、それなのに年甲斐なくボロボロ泣いて、恥ずかしい。
カンザキさんにとっては沢山の方が会いに来てくれた中の一つの小さな縁ですが、私にとっては人生を変えてしまうほどの大きな縁になりえます。実際、私も創作をしたりする事が好きな人種なのですが、多分色々な価値観や創作の世界観や何やらと軽く影響を受けています。今回のアルバムで最近元気になっていた創作意欲を更に掻き立てられたので、何か新しいことしたいなと思っています。曲作り、楽しそうだなぁ。楽器、弾けないけど。楽譜、読めないけど。
中学三年生の進路も勉強も家族も投げ出して逃げてしまいたかったあの時、カンザキさんの曲に出会って強い感情の波が電波に乗って私の心にやってきて、ボロッボロに泣きました。それから涙で毒素が流れたのか知らないけれど、見たい映画があったのを思い出して次の日友達を遊びに誘いました。
それから、ついでに逃げるのを辞めて、まずはちゃんと向き合って自分のしたいことを親に話しました。親と中学校の担任、それから不登校児だったのでお世話になっていた外部の先生は真剣に受け止めてくれて、自分が恵まれた環境に居ることを知りました。こんなに自分の為に真剣になってくれる人がいるなら、今の命を必死に抱えて生きないとなのかも、なんて。
今日まではカンザキさんのアルバムが届くから死ねなかったし、これからはカンザキさんのさいたまスーパーアリーナでのライブを見届けるまで死ねないな。
まず、我が家にはCDプレイヤーが無いので肝心のCDを聴けていません。それじゃあ今から1600字弱程度長々と綴られているのは何の文章だよ。
取り敢えずこれは同封されていた『白紙録』の簡単な感想、それから去年の即売会と、私の中でのカンザキさんの話です。
二、三年前私が学校が嫌になって放り出して、丁度夏頃『君の神様になりたい』と出会った時と同じ年頃のカンザキさんの話を読んで…なんだろう、気持ちを形にするの難しいな…曲にして過去を今を形にできるカンザキさん凄いな。生きていてくれてありがとうございます。このアルバムでまた新しい貴方の形を少しでも知れて嬉しいです。この感想はちょっとキモいな。消さないけど。
こんな言い方はおかしいのですが、カンザキさんの今までの人生で沢山あった苦しいこと辛いこと嬉しかったこと、その中で一つでも欠けていたら私はこんなにも数々の曲に心を打たれることが無かっただろうと思います。実際、私はカンザキさんが失恋をした事で出来た『告白』が好きです。カンザキさんが自分を何度も殺して、涙しながら作った『君の神様になりたい』が大好きです。苦く甘酸っぱいカンザキの思い出やカンザキさんを取り巻く辛い事柄が私は多分好きなんです。文字に起こすと軽く悪趣味だと私も思います。
話は変わり私の自慢と痴態の話になるのですが、昨年の即売会で私はカンザキイオリさんに直接アルバムの『結局死ぬってなんだ』を渡して頂けたと思います。正直緊張でカンザキさんの顔も、声も、服装も、自分が何を言ったのかすらも覚えてないんですけど、多分やたら震えて軽く裏返った声で何か在り来りなことを言いました。自分の番が来てmsyさんのCDとカンザキさんのアルバムを一つずつ頼んだ後カンザキさんとmsyさんが「もうCD無いの?」と会話していた時は冷や汗が止まらなくて心臓が喉まで出かかっていました。残り少しだったらしいです。段ボールか何かから真っ黒なのケースと白いCDが出てきた時は表情緩みまくって凄い顔してたのかな…恥ずかしいな。CDを渡してくれたカンザキさんの手はとても温かくて、少し汗ばんでた気がします。私の手は更にギトギトだったと思います、 ただただ申し訳ない。その後一緒に来ていた後輩に号泣しながら「カンザキさん生きてた」と伝えました。当たり前な事言ってますけど、画面の向こうであんなにも沢山の人の、私の心を揺らす曲を作る人が実在するというのが私にはまだ信じられてなかったんです。初めての即売会があの時で良かったな、あまりにチープな表現ですが一生の思い出です。でも今思うと周りに沢山の人が居て、いちおう私も後輩で、それなのに年甲斐なくボロボロ泣いて、恥ずかしい。
カンザキさんにとっては沢山の方が会いに来てくれた中の一つの小さな縁ですが、私にとっては人生を変えてしまうほどの大きな縁になりえます。実際、私も創作をしたりする事が好きな人種なのですが、多分色々な価値観や創作の世界観や何やらと軽く影響を受けています。今回のアルバムで最近元気になっていた創作意欲を更に掻き立てられたので、何か新しいことしたいなと思っています。曲作り、楽しそうだなぁ。楽器、弾けないけど。楽譜、読めないけど。
中学三年生の進路も勉強も家族も投げ出して逃げてしまいたかったあの時、カンザキさんの曲に出会って強い感情の波が電波に乗って私の心にやってきて、ボロッボロに泣きました。それから涙で毒素が流れたのか知らないけれど、見たい映画があったのを思い出して次の日友達を遊びに誘いました。
それから、ついでに逃げるのを辞めて、まずはちゃんと向き合って自分のしたいことを親に話しました。親と中学校の担任、それから不登校児だったのでお世話になっていた外部の先生は真剣に受け止めてくれて、自分が恵まれた環境に居ることを知りました。こんなに自分の為に真剣になってくれる人がいるなら、今の命を必死に抱えて生きないとなのかも、なんて。
今日まではカンザキさんのアルバムが届くから死ねなかったし、これからはカンザキさんのさいたまスーパーアリーナでのライブを見届けるまで死ねないな。