三十路を過ぎた辺りから、ものの上げ下ろしや、ほんのちょっとした表情の作り方を見ただけで、「この人と仲良く出来るかどうか」がわかるようになった。

「いやいや、人は複雑なんだから。ちょっと見ただけじゃわからないよ」と、その直感を無視すると「あぁ、やっぱり・・・・」と直感が正しかったのを後で知る事になる。

 

 

 

そんな私が、「この人はいい感じ」と、ここ数カ月で一番好印象を持ったエッセイが、又吉直樹氏の『夜を乗り越える』。

又吉さんの言葉を借りるなら、「この作家は信用できる」。

大袈裟な刺激の強い言葉は使わない。

でも普通は心の奥深くに埋めてしまうような仄暗い気持ちも、誤魔化さずに穏やかに語ってくれる。

 

 

 

これを読んでると文章が頭の中で、又吉さんのあの関西弁の小さな声で聞こえてくる。

なんか覚えがあるな、この読み心地。と思ったら、太宰治の『人間失格』を読んだ時の感覚に似てる。

 

 

 

すごく親しいって読者が錯覚してしまうような語りかけ方をして、気づけば随分近くまで来てる。

太宰は密着したまま心中しようと誘惑してくるけど、又吉さんは一緒に死のうって言わないからいいね。

心が疲れてる人が読んでも大丈夫ですよ。

 

 

 

苦労を乗り越えた後、自分は一抜けしたみたいに偉そうな事言う人居るね。

仕方ないのかもしれない、みんな惨めだった頃の事なんて思い出したくないから。

でも『夜を乗り越える』は、今惨めな気持ちの真っ只中に居る人を置いてけぼりにしない。

 

 

 

どこか成功者が書いたとは思えないような、おずおずと恥ずかしそうな感じがする飾らない言葉。

小さな声なのに、その声を聴き洩らさないように耳を澄ましたくなってしまう。

この作家は信用できる、とほんとに思う。