べつにお金持ちの家の子ではなかったけど、子どもの頃から美味しい物を食べさせてもらって育った。

母は結婚するまではほとんど台所に立った事もなかったのに、私が物心つく頃には料理上手な自慢の母になっていた、言ってみれば努力の人だ。

夕暮れ時の我が家は町で一番いい匂いがする家だ、と私は固く信じていた。

 

 

 

世の中がもう少し景気が良かった頃も、全然ダメになってしまってからも、一貫して美味しいものを食べていると子どもに思わせるのは大変だっただろうな。

たまにちょっと奮発する時、景気が良かった頃は外食してたところを、いつの間にかスーパーのパック寿司やお弁当屋さんのステーキ弁当を楽しみにするようになった。

その程度の変化はもちろんあったけれど、そうなっても母は明るかった。

そんな変化に、私が随分大きくなるまで気づかなかったくらいに。

 

 

 

大人になって、食に制限がある病気になった。

それでも私が希望を捨てずに毎日の食事を楽しもうと思えるのは、その時々の世相や身の丈に合った楽しみを見つけようと工夫をする、母の姿を見続けてきたからかもしれない。

 

 

 

 

 

正直言って若い頃は、平松洋子さんの本に出てくる食べ物は私には淡泊過ぎると思ってた。

ネットで平松さんの顔写真を拝見した時にも、「あぁ、やっぱりそういう淡泊なものを好む人はこういうスリムな感じなのね」なんて。

私と同じ、食に興味がある人なはずなのに、彼女は私にとって全く共感できない人だった。

 

 

 

でも最近になって、彼女が書く食べ物の描写を見てヨダレが出てくるようになった。

塩と酒だけで味を調えてあるささみのスープとかね。

昔なら、そんなもんでお腹ふくれるか!!って暴れてただろうけど(笑)、今はそういうものを食べた時の幸せな心地を知ってる。

 

 

 

中には「唐辛子シュガーをフルーツにかける」みたいな、興味はすごくあるのに持病で試せないレシピも入ってるけど。

それはそれで、子どもの頃に読んだ外国の童話の中に出てくる知らない食べ物みたいに読めば楽しい。

私の子どもの頃は、田舎には舶来物の食べ物を売ってるおしゃれなお店はなかった。

インターネットもなかったからね。

今よりうんと不便だったけれど、本の中でだけ知ってる遠い国の食べ物の味をあれこれ想像して、ヨダレを垂らすのは楽しかったなぁ。