父方のじいちゃんが死んだのは、私がまだ社会人になって間もない頃の事だった。
大昔はどうだったかしらないけど、最近は人が死んだ家のごはんはしばらく荒れるのが普通なんじゃないかな。
なぜかって、とにかく忙しくて、ごはんのことなんて考えてる暇がないからだ。
いつもはそれなりに楽しんで食べられる店屋物の牛丼やからあげ弁当が、だんだん喉を通りづらくなる。
肌はガサガサになるし、ちょっと眩暈もしてくる。
こっちが死にそうだわと思うくらいシンドイ。
たった数日、家で作ったごはんが食べられなくなるだけで。
通夜と葬式を終え、戦い疲れて帰ってきた私に、母方のじいちゃんばあちゃんは「なんでも食べたいものを用意してあげるから言ってみ」と言った。
なんでもとは言ったけどきっと二人共すき焼きをして、私にこれでもかと肉を食べさせるつもりだったと思う。
私が「煮物が食べたい。豆やひじきやおからの煮たやつ」と言うと、二人は拍子抜けしたような顔をした。
「あんた、ほんまにそんなんでええの?」と言って。
黒々としたひじきが、小さく切ったおあげさんと一緒に炊かれたのを一口食べて、私は泣いた。
食べ物を口に入れただけで泣いたのは初めてだった。
薄情だけど、じいちゃんが死んだから泣いたんじゃないと思う。
もっと個人的な事だったと思う。
人のために涙できるほどの余裕は、その時の私にはなかった。
今日も明日も同じように過ぎていくって、みんな信じてるでしょ。
こんなに病気が流行っててさえ、心のどこかでそう信じずにはいられない。
そうやって、本当は限りのあるものを永遠みたいに思ってる事を「怖いのによく頑張ってるね」って言ってくれたらいいのに。
「そうじゃないよ」って、神様は時々お尻をつねりにくるんだよね。
キビシイ。
この『ごはんのおとも』、前情報が何もない状態でひょいと買ったもので。
買った時は、ただ食べ物の事が書いてあるだけのマンガなんだと思ってた。
でもこれを読んで思い出したんですよ。
悩んでも転んでも疲れても、人は生きていかなきゃいけない事を。
そしてそれを応援してくれるものは、いい人間関係とか娯楽とかいろいろあるけど。
そんなのを何も受け付けないくらいダメな時に救ってくれるのは、全然豪華じゃないけど、平和な日常に内臓ごと連れ戻してくれる、普通のごはんだった事を。