ずっと、ロックを聴く気持ちになれないでいました。
いつかまた必ず燃え上がる。
そんな強い火が消えず、
火種となって静かにそのときを待っていました。

夏の終わり。
やはりこの季節の乾いていく寂しさが
ロック魂を燃え上がらせました。

もうすぐ何年ぶりに会う人もいます。
スーパースターになったら、
なんて言ってられませんが、
ちょっとでもかっこいいところを見せたい
なんて思うのも人間ですよね。

アプリでねこあつめしてたら本当に
うちに子猫ご迷い込んできました。
子供の頃なら「よっしゃ!」
とばかりに飼い始めるところが、
家族がとかお金がとか考えて
踏み出せない自分に悔しさ苛立ちもどかしさ
いろんな感情が渦巻きました。

結局、もらい手を探し、見つかり、
一件落着しました。
息子は鳴いているのに家に入れなかったとき、
猫にこう言ってました。
「猫は悪くないんだよ。人間が悪いんだよ。」
猫を預けてきて私が帰ると、
もういないとわかっているはずなのに
家を飛び出してきて車の後部座席を
確認したりしていました。

「うちと違っていらっしゃいって
家の中に入れてくれる人のところに
むーむは行ったんだよ。
だからもう、暑くても雨が降っても
おなかが空いても大丈夫だよ。」
と言うと、静かに泣いていました。
息子は気が強く負けず嫌いなので、
人前で涙を見せたがりません。
抱き締めていたら、
私の左目から熱い涙がこぼれて流れました。
右目からも一筋流れました。

落ち着いてから息子は
「このおうちに誰もいなくなって
一人になって、猫が来たら、、」
と真っ直ぐこっちを見ながら言ってきました。
その言葉の続きは聞かなくてもわかりました。
私が子供の頃、あれだけなんだかんだ
言いながら猫を飼うのを許してくれた
父と母の偉大さを知りました。

苦悩しながら寝たら、
半沢直樹や花咲舞のように
お言葉を返す夢を見てさっき目が覚めました。
夢でした。
私が高校生の頃。
まだ携帯電話なんてものはなく、ポケベルが最先端のもので休み時間になると公衆電話に行列が出来ていたような時代。
「lain」というアニメの表紙につられてビデオテープをレンタルしました。
オープニングで一気にはまりました。
「duvet」は今聴いても名曲すぎて。
落ちていく、消えていく、溺れていく、助けて息が出来ない。
というのはサビの和訳だったと思うのですが、ミディアムテンポでアコースティック的に女性が歌うのに、私としてはジャンルはむしろビジュアル系に近いというか。
アニメそのものの世界観は圧倒的に近未来的で賛否両論でした。
友達はみんな訳わからんもうラッスンゴレライやめてようって反応でした。
ゲーム版では口に銃加えて発砲したりしてましたし。
主人公が髪を縛っていたヘアスタイルも、クマの着ぐるみも、インターネットの世界との融合も、私にとって全てが魅力的で、CDシングル、サウンドトラック、PSゲームソフト、設定資料本など集めてlainの世界に浸りました。

今にして思えば、当時の自分は携帯でググることもできず、車もないのに、自分の足でよくそこまで集めて回ったなと、自分自身に狂気というか、執念を覚えます。
そうさせるだけlainはカリスマだったということで。

今私の手元にはlainに関する物は何も残っていません。
あの大きな特典ポスターも。。
悲しいです。
全て燃えて空に還りました。

ただ、lainが最後にインターネットと同化して肉体を捨てたこと。
その結末とduvetの心地よいメロディーがいつまでも私の中に生き続けています。
小説(アニメ)ソードアートオンラインや映画LUCYでも似たことをして体を捨ててネットの住人となりましたが、その展開を今から18年以上も前のパソコンでインターネットしている人が珍しい時代に考えて形として世に送り出しているのがすごすぎます。
やはりカリスマ。
死を越えた存在〉フリーザ様涙目。

眠れないGW初日の朝、これからはアラームをduvetにしたいとか考えてブログ書いてました。
時間あればスマホ見てしまうようなネット中毒の人はYouTubeでlainを探して、見つけてください。

彼女はいつでもそばにいます。