私の心には、掲題の如く二つの人格が存在している。

一人は、冷徹で物理と化学しか信じない「科学者A」としての私。

もう一人は、情もある「人間A」としての私。

 

「科学者A」である私は、例えば、命を大切なものとは思っていない。

非常に複雑で人類が解明出来ていないだけで、つまり極多数の物理的化学的反応が絡み合っているだけで、結局は熱エネルギー的に安定な方向へ向かっているだけの事と信じている。

そこに情が入り込む余地はない。

酸とアルカリの中和反応を見て悲しいと思う人がいないのと一緒。

アメーバのような単細胞生物もウィルスも細菌も植物も昆虫も魚も動物も、そして人間も全く一緒。

45億年の地球の歴史の中で、これまでどれだけの「命」という名の物理・化学反応が生成し消滅して行ったか、を考えればたった一人の人の命なんて全くもって何の意味も成さない。

 

一方「人間A」としての私は、当然、「常識」も「感情」もある。

身内が死ねば当然悲しい。

 

「科学者A」である私はこの「感情」というものだって物理的化学的に解明されると信じている。

 

出てはいけない場で「科学者A」が強く出てしまうと、私は「非常識な人」とか「冷たい人」とか「変った人」とか言われる。

一方、「人間A」としての私が強く出ていれば「優しくて思いやりのある人」と言われる。

 

個人的には「科学者A」である私が好きなのだけど。