小学校3年生になった娘との関係の前に、自分の反省をちょこっと書かせてもらいます。
ときどき読ませていただいている「言葉の森(http://www.mori7.com/
)」さんの記事に
「褒めるのは子供のためではなく親のため」(2010/10/17 12:43の記事)というものがありました。
(リンクフリーと記載がなかったので、記事自体のURIの転載はしないでおきますね。
ご興味ある方、タイトルで検索ください)
「子供を褒めましょう、と強調するのは、親(特に母親)のため」という内容にドキッとさせられました。
まさに子供の小さなミスばかり見つけて叱っている親、私です。
しかも、個人的な視点で「ミス」と見なした点を執拗に責める親。。。
Oh! 自分が自分の親だったら家出します。
2年前まではフルタイムの仕事をしていたのですが、体調を崩したのもあって退職。
働いているときに娘に対して後ろめたかった反動もあり、しっかり娘と向き合わなくちゃ、と
気合を入れたつもりでいました。
が。
温かく見守り、必要なときには手を差し伸べる、というよりは、娘の”私の理想の小学生”でない点を
見つけ出してはピシピシ小言を言いまくる。
厳しく躾をするとは大きく違うのです。
一方的に責められて傷付いて泣いている娘に
「傷付きたくなければ、きっちり”私の言うとおりに”やりなさい」と押し付けているだけだったと思います
(書いているだけでますます恥ずかしい)。
行動を見張っているだけで、顔を向き合わせていないとでも言いましょうか。。。
「自分の娘」というだけで、「自分とは別の個人」として尊重していなかったのですよね。
自立を促す&見守る方法が分からず、親の責任をはき違えて、
”私の理想の娘”にすべく、命令だけしていた気がします。
あとは、仕事をしていたらしていたでストレスがあったのですが、
仕事をしていないという状態も、私には座りが悪かったようなのですよね。
仕事をしていないのだから、家事も娘の事も完璧にやらなくては、と
自分の存在意義みたいなものを無理やり「家」に結びつけてしまい、
結果「完璧なんて無理無理~」な私はパンク状態。
自分がうっすらと娘にとっての理想の母ではないし、
自分が描いている”理想の母像”でもないことは認識していたけれど、
やはり娘を押さえつける方向に動いてしまう。
(ついでに家事も苦手で、家にいるのに一向に部屋が片付かない←こら)
理想の娘を求めて、自分が理想とはかけ離れた母になってしまっている
そのモヤモヤをのんびりした娘にぶつけまくっていたという。。。ううう、ダメ母です
。
まだ、「母、反省中」の看板を掲げたばかりで、失敗は続くと思います。
正解がさっぱり分からないので、娘との関係もぶつかりながら模索中です。
が、まず私が娘の人生を自分の人生の一部として捉えることから脱出していくことが第一歩かな、と
思っています。ふふ、母の独立宣言。
せっかちなのに怠け者、しかし小心者な母と、のんびり(頑固なマイペースともいう)で自分大好きな娘
。
手を取り合っての珍道中はまだまだ続く。。。な内容が中心の日記が続くと思いますが、
ここまで愚痴にお付き合いいただいた方、ありがとうございます。
次は。。。決着したようなしていないような、娘とバレエと時間と私、な日記を書かせていただきます。