ん~。宇宙的ですね。( ̄▽+ ̄*)
宇宙的なのは、俺のコメントか??
今日、17日は、流星群のピークと言われています。残念ながら、雨模様ですね。
私は先日、「恒例」の富士山天体観測ツアーを催し、21時過ぎから湘南を出て、一路 Mt.Fuji まで行ってまいりました。ここ最近では、3回目のツアーでしたが、一番の大当たりの一夜となりました。
天の川が見えたのですね。
オリオン座以外は分からない無知な私ですが、やはりそのボリュームといいますか大きさといいますか、圧倒されます。「こんなに星があるんだ」というほどに漆黒の空には星だらけです。
誰でも、やはり感傷的に浸ってしまうのではないでしょうか。
カンボジアに少しかけて考えますと、地球上のどこに居ても、この夜空は等価です。時空をさらに掛け合わせても、3000年前とも等価なのでしょう。昔から変わっていないので、いまだに星座は同じです。
なんて何でも良い事で、当たり前の事です。言葉や文書にすれば一言や一行で伝わるそのまんまの現実です。しっかし、その得体の知れない巨大さには五感が圧倒されます。改めて、世の中には理解不能なことが沢山横たわっていると感じえません。文書や言葉で「分かっている」ことほど怖いことはないのかもしれません。
しかし、人間も勝手な生き物で、自分のコンディション次第で、同じ夜空を見ても全く印象や想いは変わるのかもしれません。
私生活がうまくいっていなかったり、何か不満を抱えて生活していれば、ただただ、変わることのない夜空がうらめしくも思え、さらに自分が卑小に思えるかもしれず、、、
全てが順調で、人生が楽しくてしょうがない時には、輝く星空に飛翔していくほどの気持ちの高揚があるかもしれません。
逆に、目の前の問題が小さく思えて積極的な心持ちになるかもしれず、星空の前に謙虚になって奢りを捨てねばと身が引き締まるかもしれません。
何にしても、同じものを見て、前向きに進める自分でいたいものです。
でも、首を後ろに90度曲げて、口を開けて天を仰いでいるその瞬間は、「自分はああだこうだ」という想いは「無」い。その圧倒されている「無」瞬間は、共有しているような気がします。90度曲げた首を戻す間に何を想い、感じるのか、せめて実生活や現状の不満でなければいなぁと思います。実は「自分のこと」が出なければ幸せなのかもしれません。
草草