dreamsister

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独り言

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昨晩は朝まで眠れず。
とんでもなくくだらない番組を朝方までうつらうつらと見ていたら、カーテン代わりになっているやりどころに困っていたスペインの国旗が朝日を夕焼けのように赤くして、妙に綺麗だったので
そのまましばらく起きていた気がする。
しかしとんでもなく下らない番組を見てしまう癖が止められない。これ以外は映画のほか観ないんだが、好きでたまらない。仕様も無いことはわかっていても、つい観てしまう。
ここでは言及していなかったが翔ちゃんのサイン会に行っているしかすみかほも大好きだった。マスカッツ、またやればいいのに。マスカット。

今日は気持ちが晴れず。
空は見事な快晴で、向かいから吹きつける風が冷たい。
言門通りを歩くことがすっかり日常に溶け込んだ今も、ここに残る古めかしい建物や、下町情緒は真新しく、また懐かしいようでもあり感慨を催す。魯中、文弥も眠る地に何を求めてやって来たのやら私のような輩は。ロマンなわけじゃない。

今年になって何度も津波の映像を観返した。私は震災以後全く何もしておらず、しなければという想いが生じることも無かった。
日々の生活もままならない。何ができよう。
突然人が疎遠になって消滅するようなことが起きた時のことを思って、死別の悲しみをはかれないかなんて、未だ考える。
おばあさんの年老いて行くのが近頃はかなく、やりきれない思いに駆られて仕様が無い、と
お話したら、
文弥の朽ちていく様を見てきた、声も枯れ、届かず、哀れだったけれど、それを見てきてよかった。年をとった人間はそれを見せていものなんだから、と仰っていた。
たくさんの大切な方々をあのように失った罹災者の悲しみはどうにしても安らぎはしないのでしょうが、私はそれをずっと心に留めて生きていかねばいけない。近くの錦糸公園や墨田公園に多くの虐殺された亡骸が葬られた昭和20年3月10日のことも。

今日は直ぐに帰りたくなく、美術館へでも寄ろうと思った。しばらく狂ったように足を運んでいたのにどうしたことか最近西洋画を見ていなかった。
けれど生きる芸術が目の前に居たので、その気も止んでしまった。

兄が狂ったようにパーティーのようなわけのわからない集まりにしげしげと通っていて、年々ガキくさくなっている。今日も昨日も。そして受け答えがいいかげんだ。
青春らしいものが無かったといえど、少々度が過ぎる気もし無くない。





あいつと今日限りでお別れだった。
つい一週間前まで、本気でおまえを追放する方法は無いかと考えていたのに、この寂寥感はどんなものだろう。

嫌い嫌いも執着の念で、誰よりも深く存在を気にかけざるを得なかった事が、そしてあなたもそれを承知だったことが、この寂しさか。
一歩誤れば死はいつでもやってくる、方向転換も、現状維持もできずなるがままに流れるならあなたは社会との接点を簡単に失って、それでもしぶとく生きるだろうか。
短絡的な発想を無限の滑稽さが中和させてもまだ阿呆。
私たちは社会の末端に生きていて、あなたは末端の末端に蜘蛛の糸ほどの運とツキを寄り合わせても恥じの端です。
私は、そんなお前とよく馬鹿な話して笑った。スプラッター映画や、エーブイやメタルについて。

潮吹いたことがあるかとか、精子は毎回飲むのかとか、アナルの経験はあるのかとか
アルバイトに質問して公然と性的欲求を満してもなんとなく最後の一線はこせそうに無いから許される。スプラッターの観過ぎでfuckだとかshitだとか意味も無く一日中発する半狂乱のおまえに私もなれて、色んな事を諦めた。
そんなやつと一緒に働いているんだから自分も同類だという忸怩たる思いが細い神経をなぶって、他に仕様が無かったから、それ以上考えるのをやめた。
社会の最底辺で悪循環悪環境が肥大していく様を世の縮図のように思いたくは無い。



時々真面目そうに詩は読まないかと聞くので、むらやまかいたは閃光のようで好きだから、読んでみたら良いと言った。
お前はブルータルトゥルースやカンニバルコープスや、発禁になったわけのわからないスプラッター映画を勧めてくれたけど、観るのはごめんだ。
特に一押しのねくろまんてぃっくなんて。スプラッターを否定する訳じゃなくて、ただ残虐な描写に血が騒ぐ感覚は持ち合わせていない。彼曰く純愛の成れの果てだそう。そんな純愛は困る。

死体写真家の誰だっけ、どぜうもんの神々しさについて綴っていたものには妙に納得してしまったが、自分は屍を芸術とは到底思えない。思いたくない
魂の抜けた物に対する執着はナルシシズムじゃないのか?それとも死というものを尊ぶ素晴らしい行為なのか?どちらにしてもここまで考えるに至らない。

マア結局何言ったって私たちはナメクジみたいなもんだ。塩かけられるしか無いんだよ。私はあんまり片意地な性じゃないけど、お前は浴びてやるくらいに虚勢を張ってでも居たらせめてF級くらいの死に方ができるかもしれない。

ああ!投げてやる堅塩を。生きながらえたいってい言いやがれ。お前一人塵でもなければ積もりもしない。どこへでも行けばいい。友人よ。

悪く思わないでほしい。へはなむけの言葉です。






友人の音楽スタジオがどうやら完成したらしく、設立にあたって私は日本語訳を担当したのですが、まだ未完成な上、文面をメールで送った為おかしな部分だらけです。
友人であるオーナーが3年も日本に住んで彼女と同姓していたにもかかわらず
日本語がわからないからかコードが書けないからか、とにかくおかしいのですが、かなり借金もあるでしょうし早く仕事を始めたい一心で中途半端なままホームページが公開されました。

仕方ないですがとりあえず紹介します。

http://www.hctsound.com/

ヨーロッパ進出したい方、コラボレーションを望む方、Toni Torresはスペインの音楽業界にパイプを持っていますし、音楽のプロモーションのほか、短編映画などはヨーロッパのコンペに出展する事が出来ます。
興味のある方はあちらに連絡か私でも、ご相談頂ければ伝えておきます。



Toni Torresはバルセロナ生まれのマルチ演奏家、作編曲家、プロデューサーで、Jereやmoremo del metalなどのツアーギタリストとしてヨーロッパの国々をコンサートで行ってきました。(私ともバンドをやっていたんですが)
近年ではゲームや映画のサウンドトラック制作に意欲的で、日本滞在中には練馬区のネクロマンの音楽や横浜の芸大で映画製作に関っています。
彼は大の親日家(マニア)でMIZUと言う全曲日本語のロックバンドをプロデュースしており1枚のアルバムを発表、パリに続きヨーロッパ最大規模の日本文化、マンガの祭典Salon Del MangaやJapan weekendなどでは彼らのコンサートが恒例となっており
2014年度にはsalon del mangaにてSchool of J popとRitmos del J pop
 を開催、
Ritmos del J pop では日本の音楽カルチャーを写真と資料で展示、紹介、大地震の折も、song for Japan,pray for Japan(確か)と二つのチャリティーイベントを主催し、微力でありながらも、大好きな日本の為に行動を起したいという気持ちがあったようです。

2015年には日本の文化情報雑誌 EYKYO で音楽欄を担当することが決定。

今後、日本とスペインの架け橋のような存在になっていくかもしれません。

場所はバルセロナのカサノバで、ラジオの司会、プロデュース、楽器製作、音楽講師、音楽雑誌への執筆など様々な舞台で活動しているJoe Bassがスタジオの共同プロデュースしています。
詳しくはホームページをご覧下さい








こりゃスマートフォンの扱いに慣れていないまゆみさんの撮ってくれたボケボケの
去年のクリスマスコンサートの模様。(自主開催)

ブズーキのソロでクリスマスソング、ケルティックチューン、色々弾いた。


一枚目
ジングルベルロックを弾きながらトナカイカチューシャでレストランを走り回る私。
弾きながら厨房に消える、正座する、回転する、踊る
とか、笑わせたくてやってみた。
結果、喜んでくれた




2枚目
まゆみさんから頂いた可愛いブーケ。

衣装、迷った末に男装。と言うか兄の私服

よい思い出












合唱団に入っているらしく、77歳にしてover the rainbowを英語で!覚えて発表会でソロで歌った。それがなかなかの美声、少女のようで、とても可愛い。
だから昨日ばあちゃんが家へ来た時、歌声喫茶やりました。正確には、歌声鰻だ。
実家は江戸前の鰻屋、三代目で、値段を除いては庶民的な下町の味を守っているらしいのですが(つまり、味は変わらず値段だけ上がったということです)
それでも稚魚不足にて原価率50%近く、金に全然細かくない母さんが数年前の鰻の仕入れ価格高騰の折に、気づいたら家計が火の車で目を背けていた現実とどうしても向き合わねばならなくなった時期があった事を後に話してくれ、
夜間学校を出てからあぶれものだった私と、薄給で自立が困難な兄、ほとんどヤクザな親父、といったどうでも良さそうな家族一同に心配をかけまいと一人で夜な夜な、新しい商売や違った生活を模索するでもなく、ただ眠れなくなってしまったと言う事を聞きました。それを聞いて本当に申し訳なかったのですが、特に謝罪はせずに、今まで居ます。
母は、私の非行にも奇行にもほとんど何も言わなかった。住まわせてもらっている事に恩に着せたり、変な圧力もかけず、辛抱〃。ほったらかし、って言うんではない。
優しい母だった。
その母さんお母さん
御祖母さんのお父様は唄と楽器が大好きで、ぎたー片手にばあちゃんに沢山唄を教えてくれたそうで
「あんたにはその血が少し入っているんだ」
 といって涙を浮かべながら教わった唄沢山歌いだすのですが、すぐに伴奏付けられず叱られる始末でなんだか私が悪いことをしているような気になり、困りました。
御祖父さんのお父様のほうも浄瑠璃をやっていたらしく
それも今私が同じく勉強しているわけで、そうした血は絶えずに居ることが少し嬉しいです。

御祖母さんの好みはゆっくりした美しい曲だけで、私が浄瑠璃をやっていることを話したら、「そんなもの何処が良いんだかさっぱりわからん。浪花節みたいなやつか?いやねえ」
なんていわれてしまったんですが、戦後の日本において邦楽の立ち位置は武満さんやあの時代作曲家を知ればなんとなくわかったつもりでいます。日本風を目指すような。武満さんは、満州が長かったから、違うとおもうんですが切腹や暗殺、怪談なんかは凄く日本的ですよね。話が逸れますが実はノーベンバーの琵琶の高橋さんはご近所です。恐らく

明治大正の流行歌なんて、皆同じようで大して聴くべき所も無さそうだと、思ったことはあるんだけれども、そんな音楽を皆が口ずさんでいた事、それを愛した、そうさせた時代、それを生きた人が私は美しいと感じます。
私が助川さんからブラジル音楽を教わっていた時、何度もコンサートでは涙を堪えたしある種の郷愁を感じていたことは確かですが、それはブラジルの人たちの感じるサウダージにはなりえない。年中金欠病の私はあまりコンサートに行けなかったんですが、その中で一番面白かったコンサートはHermeto Pascoalでした。
彼の音楽は万国共通で楽しいものだと信じていますから、終始悪戯な血が騒ぎまわり、毛の先が枝分かれしそうな音の濁流に一人上手くのれたような気でニヤニヤとして気持ちが悪かったと思いますが、あれは遊園地に入るような気分だったのかもしれない。(私は遊園地には行きません)
ずっと東京の下町でビルと、千葉人とも東京人とも言えない変人が多い環境で(ばあちゃんの発言より)育ったので、
アマゾン川ですか?そんなような川で変な管楽器を吹き叫ぶ彼の見る世界がわかるわけないんです。
私が邦楽、といっても昭和の流行歌みたいなものに最近感動するようになってしまったのは、西洋音楽を愛好している自分からすれば退化かもしれないんですが、映画の影響が大きかった。木下さん、成瀬さん、小津さんなどの白黒世界が目に浮かんでしまう。武満さんの映画音楽の大ファンであることも。西洋風で別になんてことは無いんだけど、日本の青春、どですかでん、太平洋ひとりぼっち、ホゼトーレス、他人の顔なんてわかりやすくて大好きだ。
それに一杯やると ああ、あのとき皆貧しかったなあ。戦争で人がいっぱい死んだなあ
そんなこと思って、涙が出てしまうようになった。加齢でかね。こりゃあ。

浄瑠璃をやりたかったのは
おかもとぶんやさんという明治28年生まれで101歳まで生き、反戦、慰安婦問題、娼婦、そういうことを浄瑠璃にして、赤とか左翼と呼ばれた方が居て
洋楽におかされている状況に危機感を覚えていた自分が、つき動かされたからです。
ギターだのピアノだの、元来の日本人が扱いに疎いはずの楽器を必死で練習しているということが馬鹿らしくなっていて、嫌だったのもあり。
それと性産業に従事する女性に大いに興味があった。22の時、何かのきっかけであるAV女優の自叙伝を読み、自叙伝と呼べるほど立派なものではなかったのですが以後3年、今もまだ追いかけている某森下さんには、涙が出るほど感動したことが幾度もありました。
AVも、その他の映画や、舞台でも。女というものを体感する自分、客観する自分、その双方に働きかけるものは、じつはあまり無かった。それは別個であって、どっちにも理性の番兵が小銃を持って立ってるわけですが、某くるみさんに到って、結局AVのむちゃくちゃなあほらしさを知り、番兵を立たせているのが馬鹿らしくなってしまったわけです。ここであえて下品な言い方は避けることにしますが。
手紙を何通かやり取りし、たまにメールすると律儀に返してくれるけれど、そんなことならAV女優でなくても良かったはず。なぜそこに執着したのか、私の嫌な所だ。
新内は吉原の遊郭を流していた芸だけども文弥さんは古典だけでなくそんな女性達に寄り添った浄瑠璃を沢山お作りになった。
普通男性は、所詮商売女なんて卑しい女と思っているほうが多いでしょう?そうじゃなきゃ、
使いにくいですものね。
まあそれがきっかけでその兄弟の孫にあたる方に、文弥さんがお住まいだったお宅で今は教わっています。貧乏だけど、高級な趣味になってしまうんじゃないかって、それが心配なんだけれど。


沢山戦前、戦後間もないくらいの唄で流行ったのは聴いていたんですが、御祖母さんのお父様だから、明治になるのか、さすがによく知りません。
トンヤレ節、船頭小唄、めんこい仔馬、露営の唄、カチューシャの唄、アラビアの唄、カンカン娘、お富さん、青葉の笛、浜辺の唄、同期の桜、愛国の花、父よあなたは強かった、
くらいはわかったんですが
あと言ってたのは
母の唄、琵琶湖周航の唄、野菊の唄、ほとんどが題名忘れ。
ばあちゃんのくちから出て来る出てくる、古い唄。
こりゃあ、まだ逝って欲しくないなあ、あそこへ行こうあれを見よう、約束ばかりで叶わないままどんどん月日が経ってしまう。
楽しかった、幸せだったけど、おセンチになりそうだ。ほんとうに




ヤフー知恵袋なんて誰が利用してるのか。
見れば下品な質問ばかり。島国根性のあたし達が匿名性を利用する理由にろくなもんなんてないわよ。知ったこっちゃないけど。
っていう、一回きり使ってみて感動した話の前振り。

曲名がわからなくて、パンパパ ラ、ラー ドゥドゥッピドゥー(これはないけど)
みたいな擬音で質問するの様がおかしいっていうのは聞いたことがあるし、どうも暇人の変態
野郎ばかり蔓延ってる気がするんで絶対に使いたくなかったんだけど
昨日映画で流れてた曲がどうしても知りたくて、クラシックの先生に電話か知恵袋って選択肢しかなかったんだよね。
先生はだいぶご無沙汰だし、そんなのは失礼なんで結局、
2小節の楽譜を書いてそれと一緒に投稿してみたらものの1時間で解決。
長いオペラからその曲の頭出しまでしてくれてるyoutubeのリンク付で。

回答してくれた人は多分クラシックの知識をひけらかしたいオタクなんでしょうけど
ありがたかったわ。
私も人さまの知恵を借りてしまったので、善意で一件くらいと思ったのだけど
私の年代で指定してきてるマイページの質問、あれに答えるなら男なんてしらない、しかないのよね。
結局、やめちゃった。

男、のことなら今日三味線の皮を変えに初めて、目と鼻の先って言ってもいいくらいの場所にあったことに気づいてなかった和楽器屋さんに預けてたものを取りにいったら

息子は早くに断念して郵便局に勤めている、生活の中に三味線があれば自然と興味を持っただろうが、今の時代三味線なんて無い、だから郵便局に勤めている

そんな話を聞かされた。
ご主人と会ったのは2度目。
若い女が三味線をやるのが嬉しかったらしく(もうそんなに若くない)

息子と結婚してくれ

と、真剣に頼まれた。

そうすれば息子も興味を持つだろうって。

お会いしたことないけど、少し考えちゃったな。
女の人ならどんな人でも大して気にしないけど、男の人には、馬鹿な年増みたいに理想があるんだよね。ほんと、黒澤映画に出てくるような髭の人とか。
下らない。
たぶん恋愛対象にならないから、そんなこと思うのか知らないけど
別に愛してなくたって、子供を持って生活してる人は沢山いる。日本も昔はそうだった。
愛なんてよくわかんないけど、心底情のわく人、一緒に居て。そんな人に出会ってみたいのよ。

もうどんな希望も捨ててるつもりだけど、私がこの世の成り立ちからまるで無関係の存在のような、最も感動的なものを知ることの無い哀れさのような
そんな卑屈さに未だとらわれるのが嫌。

昔の映画なんて見て、愛なんて考えるからいけないんでしょうね。
私が17くらいでL word見てた時なんか女同士なんて最高って思ってたけど、人間ドラマとしては男女のそれにどうやってもかなわないような差がある。
良し悪しで語るようなもんじゃないけれど、私が男女に共感するのはきっと本能の叫びだわ。
成瀬さんの映画なんて特にそう。浮雲、稲妻、女が階段を上がる時

見たのは全部高峰さんだけど
これを女同士で撮れったって無理ね。




最近古い映画、40年半ばから50年代の作品、東京物語とか、上陸第一歩、雨月物語、煙突の見える家 など観ていて、カルメン故郷に帰るは元々歌だけ知ってたんだけど 映画を見たら高峰秀子さんに恋してしまった。
高峰さんに関してはまた後ほど書きたいけど、好き過ぎて総集編にしたので共有します。 とにかくこれは知らない人でも結構楽しめると思う。
これは映画の主題歌カルメン故郷に帰るに、全く別の曲で躍っているカルメンをタイムストレッチを使って合わせているんだけど
ほとんどがそのまま。
それが絶妙に合っていて自分でも可笑しくなった。

最新のものの恩恵は受けながらもあえて追いかけはしないへそ曲がりが言うと、
平成生まれの人にはこういう映画を見てほしい。
故郷に帰るの日本初のカラーは絵の具を塗ったようでリアリティーでは今のものに劣るけど
どうだこの浅間山!!動画には映ってないかもしれないけど。。。
それに初のカラーで高峰さんが出ているという以外に故郷に帰るの方は見所は無い気はするが それでも、やっぱり初のカラーは何とも言えない良さがある。 純情すは最高。

http://youtu.be/-scSw-WDGeU

挨拶がてら元日からばあちゃんに着物の着付けを少し教わって、
ばあちゃんの嫁入り道具だった大切で高価なものを羽織ったらば、ピンとした袖にあちゃんの歴史が詰まってた。
最近は昔話を随分するようになったんだけど、
コーヒーの粉末を畳に撒かれて、暑い夏素足で知らずにそこを歩いたら畳にめり込んで落ちなかったなんて話、自分の分だけケーキが無くて、悔しいから後で同じものを買って食べた話、
もっと沢山十代の頃お見合い結婚で嫁に来た時ばあちゃんが姑さんにいびられた酷い話聞いたんだけど、
結局気が狂う寸前、胃の病気になり離婚して、別の男と一緒になったのに慰謝料のほか300万旦那が、私の本当のお祖父さんが残した話は何度も聞かされた。
いわゆるマザコンだったお祖父さんが姑の肩ばかり持ったのを申し訳なく思っていたからだという。そのお金の使い方がまた不憫。
息子、私の叔父さんが去年勝手にフィリピンの女とフィリピンへ行ってそのまま何の連絡も無く死んだ。
叔父さんは若い時両親が離婚したことをいつまでも根にもって、大人になったらしい。悪いことは親の責任にして。
自分の離婚も、娘が17で妊娠したとき汚らわしいと放った精神も恐らく。
叔父さんが脳梗塞で最初に倒れた時、脳死になるか、確率の低い手術をするかの二択で手術をとった時そのお金を使って、奇跡的に命が助かったものの、まともに歩けもしない叔父さんを一生面倒みる気で田舎につれて帰って看病していたのに叔父さんは何も言わず留守を見計らって家を出た。
それから何年経ったか、次の知らせは18歳の嫁が火葬の金も無いから至急送金を、という連絡だった。本当に死んだのかどうかもわからず
ばあちゃんはフィリピンまで行く気でパスポートを取得する準備を整えていたけど
金の件で向こうの大使館や入院費の肩代わりをしていた仕事先のオーナーと電話で散々父がやりあった末、結局何の連絡もしなかった叔父さんはもう他人も同然と、結局誰にも一銭も渡さずおじさんは向こうで無縁仏になった。
私だけが片言の英語でその娘に電話をかけて話したのだが聞けたことは金は無かったが愛していたこと、2度目の発作で死んだこと、お骨は5年だったか、家に保管した後海に撒くこと。
でも最後にいくら必要なのか、金銭の話を出した途端に切られてしまったんだよね。
とりあえずもう一度電話して、叔父さんのことありがとう、好きな国で死ぬなら幸せだったと思う、葬式に掛かる費用も送ると伝えたのだが、結局払わず仕舞い。
まあこれは私の首を突っ込むことではない。
けれど叔父さんは最後までばあちゃんを裏切り愛を踏みにじった。私も一緒に遊んだし悪い人じゃないんだけど、結局離婚の恨みを死をもって晴らしたような死に方でばあちゃんは本当につらかったと思う。
とにかくそんなこんなでばあちゃんは田舎の小さいコミュニティーでは駆け込み寺のような、尼さんのような、年がら年中相談に来る客が絶えない存在になっていて、
人から悪くされたらよくして返せとか、話せば道徳論?が止まらないわけだけど、結局若い頃姑にされたことがばあちゃんの基礎になってると思う。
ああして着物が何十年経ってもきちんと保存されてるんだもん。嫁入り道具が大切というより、
あれは恐怖と意地に違いない。
しかも典型的な古い女のはずなのに、明菜のようにはしょって着崩せと言ったのは、またどういう意味なのか。
まあ他人が見ればきちんとした人だけど、私にはどんなに立派な理論説かれても
、ばあちゃんの弱さは全部わかってて、そこになんとも女特有のいやらしさがあるわけ。
道徳にいつでもセックスが絡んでるの。男と女の価値観とかさ。普通のね。
男は出てて女は引っ込んでるんだから女って言うのは前に出ちゃいけないって言われたのが小学生。この言葉は忘れられない。
子供ながらにそれが嫌だったんだよね。あたしは精神的に女との男の間だからそういうのにずっと敏感だった。
でも誰より愛が深いから、愛してるんだけど。
透析からは抜けられても長年の苦労と商売の忙しさでぼろぼろになってしまったばあちゃんが会う度小さくなってて、可愛いし、悲しいんだよ。
なぜ好き好んで他人の荷まで背負うのかわからない。人の悩みなんて女が善意で聞けるか?
結局、自分が可愛いんじゃないかと思ってしまうよ。
で今年は会うなり彼氏は居ないのかと聞かれた。
信じてないらしいんだけど母方のばあちゃんにはいつか母が勝手にばらしたのでもう良いとして、御堅いこっちのばあちゃんには死んでも話すものかと思っていた。
けれど新年早々嘘つくのも疲れる。なんで話した。勘当はされんだろうと思っていたので。
そうしたら大して驚いていなかった。
しかも一度位お邪魔したことのある隣の喫茶店の店主がレズビアンで、飛び降り自殺をしようとした時ある女性に止められたのか何なのか、とにかく恋仲になって養子縁組したのがなんと40年以上前の話だと聞いた。
同性では結婚の代わりに養子縁組をするって知ったのすら最近だったので、驚いた。
とにかくこれでもう結婚しなくてもうるさく言われないし心配したままあの世に行って貰わず済んでああすっきりした。
愛の出し方が露骨なばあちゃんへ、一番いい別れは欧米風のキス、それでお別れ。孤独に向き合う人の弱さは辛い。
あたしの自分への不甲斐無さ、時の経つのに逆らえない虚しさ、積もった塵の行き場の無さ。
私だって誰かに話したい、お前しか居ない、そういって甘えても吐き出したところで全部抱えて逝くのはばあちゃんだ。私には何の力も無い。
あたしなんてばあちゃんが綺麗さっぱり焼かれたら、きっと全て美化してしまう。
それでいいのかね?それが人の生きる事かね?まだ私はわかってない。大切な人の死を経験してない。怖いな。





随分昔、多分19の時にちょっと録音してみたっていう程度のもので音質も酷いですが この時分の感性だったんでしょうな。 Hermeto Pascoal bebe



かなり昔にSteve ReichのNagoya Marimba を尾尻先生がギターに移調したものを弾いた映像

子供っぽい。


他にモンクを2曲やったけど、下手だったからか


荒川が公開しなかった。