「ぼのぼの」の心理学
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ぼのぼの


「ぼのぼの」の心理学-アニメぼのぼのDVD
ぼのぼのDVD全48話


おtとなりの奥さんが「“ぼのぼの”ってアニメ、ご存知? すご~く可愛くって、とっても面白いわよ~」と教えてくれた。さっそくDVD を買って、息子に見せてあげた。

そしたら息子は、いっぺんで「ぼのぼの」にハマった。くり返しくり返し、飽きずに見ている。よっぽど「ぼのぼの」が気に入ったらしい。それにしてもどこがそんなに面白いのだろうかと思い、私も見てみた。

うーん、たしかに面白い。そして、けっこう深~いのだ。セリフが哲学的だったりもする。

ぼのぼのには、アライグマくんとシマリスくんという仲良しがいる。毎日3匹でケンカしながらも仲良く遊んでいる。でもどんなに楽しく遊んでいても、夕方になると家に帰らなければいけない。もっと遊んでいたいぼのぼのは、遊びが終ってしまうことがとてもさみしい。ある日、ぼのぼのはお父さんに尋ねる。

   ぼのぼの 「お父さん、どうして、楽しいことって終ってしまうの?」

   お父さん 「悲しいことも終ってしまうようにだよ」

わ、すごい。これは深い言葉だぞ。私はこのセリフを聴いた瞬間から、ぼのぼのにハマってしまい、息子が見ているときは一緒に見るようになった。そして私と息子は、毎日DVD を見終わったあと「ぼのぼのごっこ」をして遊んだ。

息子がシマリス君の真似をして「いじめる?」って首をかしげて言うポーズがもうムチャクチャかわいくて、私はカメラで息子のシマリスショットをバシバシ写すのだった。

しかし、私は何度も「ぼのぼの」を見ているうちにある発見をした。それは、「ぼのぼの」は、人の心の“煩悩の仕組み”というものを実に見事に教えてくれるアニメだということだ。
 
「ぼのぼの」の心の動き方を注意深く観察するようになると、人の不安や苦悩という“煩悩”は、まさに自分の“思考”が作り出しているのだということが分かるのだ。

ぼのぼのは、やさしい心の持ち主で、ロマンティストなのだが、“空想癖”がある。その空想癖は、ある刺激に反応してすぐ“妄想”に変わるのだ。その妄想に乗っ取られると、ぼのぼのはものすごく不安になり、落ち込み、恐怖のかたまりになる。自分の思考が作り出した妄想そのものを事実として思い込み、その思い込みによって、ぼのぼのは勝手にどんどんパニックになっていくのだ。

うーん、なるほど。これは私も結構やってきたなあ。思考は、すぐある“決め付け”をし、それによって、あるネガティブな感情が自動的に出てくるという心の仕組みを私は学んだけれど、「ぼのぼの」を見ていると本当にそのカラクリがよくわかるのだ。

私は、ぼのぼのを見ながら、そのころ学んでいた「事実とストーリー」を区別することやネガティブな感情的反応のカラクリ、自動的に○と×、善と悪の判断をしてしまうという思考のカラクリなどを復習するのだった。ストーリーというのは、自分の思考が作り出す作文だ。思い込み、推測、憶測、決め付け、判断などである。

たしかに人は、ある過去の“出来事・物語”と、ある“人”に対して、自動的に反応する心のパターンがある。特定の刺激に対する、毎回お馴染みの反応。これは、全自動洗濯機みたいな心だ。わかっちゃいるけどやめられないみたいな・・・

この刺激一反応の“全自動洗濯機”が回り出したら止めるのは一苦労だ。すでにご飯と味噌汁、カレーと福神漬けみたいにセットになっているからだ。一人ひとりそのセットメニューが違うだけなのだろう。

でも、グルグル回り出した自分の反応そのものに苦しむというのはきっと一緒だと思う。たしかに、ある過去の出来事、ある人の言動、態度が自分を傷つけ苦しめるのだと人は思いがちだが、よく観察してみると、それらに対する“自分の反応”そのものが、もっと自分を傷つけ、苦しませているのだということが実に納得できるのだ。

思考は、基本的には二元論だから、絶え間なく「いい・悪い」「正しい・間違っている」の判断をして自分を責めるか、相手を責めるかのどちらかをしてしまう。そして、過去の“悲劇のストーリー”を自分のアインデンティティに組み込み、何度も何度もその痛みを反復したりする。

あるいは、自分の“期待”通りに動いてくれない人、思い通りにならない人、自分の“要求”を満たしてくれないある人に対し、イライラと失望と怒りを募らせ、その感情そのものに自分が振り回されて苦しむというのもよくやる。

ネガティブな反応が起きてきても、それが別に苦しみにならないことなら構わない。ただ、そういう反応が今自分に起きているというだけのことだ。問題になるのは、自分のネガティブな反応そのものに自分が苦しんでいる時、これがやっかいなのだ。

そういう時は、自分のネガティブな反応の元になっている自分の側の「期待・欲望・判断・怖れ・執着・決め付け」を“ただ観る”ということは私にとっては新しく、そして深い学びだった。確かに、実にいろいろな欲望や判断があることがわかる。

たとえば、自分をこう扱ってほしい。こういう対応をしてほしい。自分をこんな風に評価してほしい。もっと愛してほしい。こんな風に愛してほしい。相手にこうなってほしい。こう変わってほしい。こう言ってほしかった、などなど。

また、自分の観念や信念、つまり、こうすべき・こうであるべき・こうでなければならないという自分の価値観や考えに合わないことを相手に言われたり、されたりする時も、自動的にネガティブな反応が起きてくるので、それもただ観察すること。

こういった自分の欲望や理想が満たされない時、傷つけられた時に、人は瞬時にしてネガティブな反応が起きてくる。この反応に判断を加えず、“ただ気づいている”ということ。“心を閉ざさないこと”。そうすれば変化が起こる可能性が生まれるという。

反応そのものがなくなることはなくても、少なくとも醒めて観察できるようになると、自動的な反応によって無意識に繰り返される愚かな言動、行動、そういった無意識の人間関係のコントロール・ドラマ、パワーゲームを「やめる・やらない・手放す・違う態度をとる・仕切り直しをする・見守る・今は静観する・距離をとる」とか、そういった選択ができるようになるのだ。“反応”から“応答”へ変わるのである。

ネガティブな“反応”の多くは、過去の痛みと自分の満たされぬ思いから湧き上がってくるから苦しいのだ。過去と欲望は本当に罠だと思う。それに対して“感応”というのは美しい。感応は、“今・この瞬間”の純粋な想いや感性から湧き上がってくるものだから。

そういえば、感応から自然に起こる行為や言葉は、いつだって楽しく、心地よく、美しく、パワフルだ。過去の条件付けに縛られていない無垢なるところから湧き出てきた想いや透明な言葉は、不思議に相手のハートに届くのだ。

ネガティブな反応の学びでもうひとつ腑に落ちたことがあった。それは相手に怒りなどのネガティブな反応を起こしている時や、相手を批判的な目で見ている時は、自分の“シャドーの投影”つまり、自分の中に“相手と同じもの”が本当はありながら、自分でそれを否定している部分、許していない部分、怖れている部分、嫌っている部分を相手に“投影”して批判していないかどうかを見ることの大切さも学んだ。

ああ、私はこれもずいぶんやってきたなあと思った。「自分が嫌いな人は、最も自分に似ている」という言葉には、ガーンと落雷。「自分がネガティブな反応を起こす相手は、実は、自分と同じ心の痛みや悲しみや心の闇を持っている相手であることも多い」という言葉には思わずホロリと涙。「エゴというのは、過去の心の痛みや記憶を、“今・ここ”に持ち込んだことによって自動的な判断からくる“分離感”“孤独感”」という言葉には、思わず納得。

私は、自分が誰かにネガティブな反応を起こして苦しんでいる時、人間関係でトラブルを起こした時に、自分がどこに立ち返ればいいのか、自分の側の何を見なければならないのかを知ったことで本当に救われた。

もちろんこのことがわかっても、お得意の反応パターンや人間関係のトラブルや苦悩が全く無くなるわけはないだろうけれど学び方を知っているのと知らないのでは、人生の苦の大きさは雲泥の差だと思った。

私は、この自己観察という学び、いや学びというより、心の修行は、私自身の心身の癒しのプロセスをちゃんと経てきた後に知って良かったと思った。自分の心の奥にしまいこんでいた心の痛みが噴出していた頃にもしこの学びを知ったら、とてもじゃないけれどハードルが高過ぎて尻込みしてしまったか、説教くささを感じて抵抗していたかもしれない。

しかし、カタルシス、癒しだけで体験が終わっては、人は成長しないのだということもよくわかった。それにしても人はみなどうしてこういう大事なことを人生で教わってこないのだろう?

私はアルキメデスの原理や微分・積分より、いのちの法則、人間関係の法則、人生の法則、宇宙の法則の方をもっと勉強してきたかったなあ。だって痛い思いをいっぱいしてきたもの、こういうことを全く知らなかったお陰で。

いやそれにしても、私が当時、心理学や瞑想の世界で学び、体験してきたことを、かわいいアニメの「ぼのぼの」は、あんな風にファンタジックにユーモラスに表現しているのだからすごい。

もちろん、それが狙いで創ったものではないのだろうけど、その視点で見てみると大人が充分楽しめるアニメなのだ。私が「ぼのぼの」から学んだことはこれだけではなく、人生の楽しみ方まで教わったのである。

ぼのぼのたちは毎朝、森で顔を見合わせると、「今日は、何して遊ぶ?」と遊びの企画会議をするのだが、それが実に楽しそうなのだ。3匹は毎日いろいろな遊びを生み出すのだが、遊んでいる内に必ずケンカになる。それなのにこの3匹はものすごく仲がいいのだ。

3匹の個性は全く違う。ぼのぼのは優しくてのろまで妄想癖があり、こわがりでロマンティスト。シマリスくんはオスなのにメスみたいにかわいくて、お茶目でおませでこまっしゃくれている。アライグマくんは、乱暴者で照れ屋。本当はやさしいのに素直に愛情表現ができないで悪ぶってばかりいる。

この3匹はお互いに合わせているようで、実はちっとも合わせていない。それぞれが実に“自分のまんま”であり、いつもマイペースだ。けれどもお互いのことが好きだから根っこがやさしくてあたたかい。めいめいが勝手に存在し、好き勝手なことを言ったり、やったりしているのにちゃんと深い絆で結ばれている感じがなんともいいのだ。

3匹の個性は見事にバランバランである。それなのに妙に調和している。個性がハモっている感じだ。この3匹の関係性は、私にとっての家族の理想であり友だちや仕事仲間たちとの理想的な関係性に思えた。

とにかく毎日毎日を思いっきり楽しんで生きているのがいい。いつも“今・この瞬間”を生きている。どんなことでも遊びにしてしまう感性も素晴らしい。森も海も山も川も全部がぼのぼのたちの遊び場なのだ。私はぼのぼのの物語に人間関係の理想郷と日々の暮らしの桃源郷を見るのだった。

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ぼのぼのDVD全48話