2021・01/28
シェットランド・シープドッグという犬種がいる。

私達の世代では有名な「名犬ラッシー」と酷似しているが、ラッシーの犬種はコリーだ。
コリーを、やや小型にしたような雰囲気で見られている、シェットランドシープドッグがいる。
しかし犬種としては別に考えるべき、犬種同士である。
よく見れば、鼻の長さの比率や全体の骨格も似てはいるが、細かに違うように思う。
しかし、顕著なのは基本的な性格だと思う。
コリーは確かに賢い。
コリーの基本性格は、わかりやすく言うと「田舎の少年」って感じで、おおらかな雰囲気だ。
人間の幼児に対しての態度は驚くほど優しい。
その点、シェットランドシープドッグも賢い。
シェットランドシープドッグはコリーに比較すれば、
「都会育ちの少年」と説明できるのではないかと思う。
人間の幼児にわざと軽く悪戯して、その反応を観ているようなところがある。
これは私の経験から感じてきた個人的印象なので、異論もある方もいらっしゃると思うが、
賛同される方も多いと思う・・・
この両種はボーダーコリーを含んで、人間の言葉、表情、その時点の人間の感情を
ある程度正確に理解できる犬種だと思う。

絶対私の話し掛けを正確に理解してるという経験が在る方は多いのではないだろうか。
いろいろな環境で経験を積んだ成犬ならば、少なくとも人間の4歳~5歳の子供ぐらいの
感受知能ではないかと思う。
その点、馬は幼い。
かなり賢いと評価を受けた馬でも、せいぜい3歳児くらいではないだろうか。
しかし、馬は体験から得た記憶持続力は、犬よりもかなり優秀な動物だと思う。
駄々を捏ね初めたら手に負えないのが馬だ。
その点、犬は何らかの交換条件で納得してくれる時がある。
馬は一回、教え込んで理解させると馬は無意識に従順に守ってくれるようだ。
その結果か、失敗が少ない。
しかし非常に賢い馬になると、犬と似てくるような感じする時がある。
競馬好きな方は御存知の方も多いと思う。
「シンボリルドルフ」や「マーべラスサンデー」「アーモンドアイ」の逸話などが有名ですよね。
犬はその点、好奇心旺盛なのが原因なのか、わざとそうやって注目を浴びたいのか、
何故か同じ間違いを繰り返してしまうという傾向は否めない。
まぁ、そこが可愛いところでもあるんですけどね・・・
その失敗後の彼等の表情を観ると、怒りの沸点に到底到達できなくなってしまう。
何れにせよ、可愛い愛すべき生物なのだ。
けして、私は彼等を「家畜」や「愛玩動物」とは言いたくない。
彼等は彼等なりにいろんな経験を積んできた友達だと思う。
人間でも同郷の幼馴染同士であったとしても、ある程度成長すると生きる業界が違うため、
経験してきた違いで、感受性や規範認識や言動の差はできてしまう。
それで、ぶつかり合う喧嘩沙汰に発展する事も多い。
だが、ある程度の時間が治癒してくれて、その結果貴重な友達同士に戻る。
馬も犬も、人の目を見ている。
人間の幼児も同じだ。
思考が単純なだけに、人間の本質を見ているんだと思う。

しかも嗅覚も優れているだけに、人間の見せ掛けの三文芝居など見抜いている。
「ブルーシャドウ」も、地方競馬で酷使されてきた過去が在った。
しかし結果が出せず何回もの四季を生きてきた。
競走馬は結果が出せない馬は哀れだ・・・
勝気で生意気で人を選ぶような馬は、競馬の世界では当たり前なのだが、
失敗しても態度を変えず、逆らっても放っといてくれる馬など、地方競馬の世界には無い。
歳食って小淵沢に辿り着くまで、彼はいろんな人物を見ながら感じてきたんだろう。
3歳児の幼児が、そのような経験を彼等が積んできたと思ってもよい。
だが、小淵沢の観光牧場に辿り着いた馬は幸せである。
ただ、繁殖もできず、ただ命を永らえらてきた人生を幸せというならばだが・・・
今の社会、多くの古馬の将来は自分と関係も無い人が計算機で決めるのだ。
いろんな動物も同じような環境で、この瞬間も呼吸をしてる・・・