物事には「形」や「型」ってのが存在する。
ボク達はその目に見えない「形」や「型」ってのに縛られて生きているんだな。
「あいさつはちゃんとしなきゃダメダヨ!!」とか「人には優しくしてあげなきゃだね」なんてのも「常識」って「形」や「型」に沿った上でのお話。
冠婚葬祭でもそうだと思う。
まぁ、宗派や地域によって「正解」ってのがないのが冠婚葬祭なんだけどもね・・・・・・・
今日は朝っぱらから逗子まで行って納骨。
以前の日記
で書いた大切な友人の納骨に参列させて頂きました。
彼のお父様のお話を少し聞いたのですが、「型にはまった事が嫌いな男で・・・・・・・・」なんてのを何度も仰ってました。
「型にはまる」
ボクが思うに「型にはまる」「形にこだわる」ってのはある程度は必要。
だけど、それを一番に考えるのはおかしいと思うし、故人や親族を含めた参列者の為にはならないと思う。
「形」や「型」になるまでにはそれ相応の理由があるんだろうけど、時間は流れて「人」は変わっていくんだから、「型」や「形」も代わっていいと思うんだな。
そんな意味でも今日の納骨はいい法事だったと思う。
「彼だったらどうだろう?」「彼ならこう言うよな!」そんな事を言いながら食事をご馳走になった。
ちゃんと礼服を着てきた人もいれば、ボクみたいに紫色のネクタイを行っちゃう人もいる。
オイオイ・・・・・・デニムはどうかと思うけど、まぁいいや・・・・・・・故人も気にしないだろうな。ww
ボクの周りには「義理」や「しがらみ」で参列した人がいないような気がした。
こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、「型」や「形」にこだわらないとみんながニコニコするのかもしれないし、故人もそれを望むのかもしれない。
「死んでしまった人間より生きている人間の方が大事」
こんな事を言うとホントに不謹慎で怒られるかもしれないけどな。
けど、ボクは「ある程度型や形ににこだわった」今回の法事はすっごくいい法事だったと思う。
本堂に供えられたいた向日葵。
お墓を埋め尽くした紫陽花。
両方とも彼が好きだった花だそうだ。
とってもキレイでした。
たくさんの思い出をありがとうございました。
アンチャンはボクの中に生き続けてボクという小さな人間を形成する大きな要素の一つになりました。
今回のことを糧にしてこれから生きていこうかと、帰りの新幹線でビールを片手に思いました。
合掌。