あのとき、同じ空を見て、美しいと言った二人の、心と心が、いまは、もう通わない。あの、素晴らしい愛をもう一度。あの、素晴らしい愛をもう一度。という 痛切な「フォークのメッセージ」は、現在「ずっとそばにいるよ」「一生守ってみせる」「声を聞かないと不安になる」に変質してしまいました。http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php

求めすぎる人は、駄目なのだろうか?
でもこの曲、いいなー。
切なすぎる。

状況が違うよなー、
70年前後の頃
体制に怒りをぶつける若い世代
学生運動、万博、戦争を知らない子供たち。
閉塞感を感じ、やりきれなさ、が熱い時代を動かすエネルギーになっていく。
今の言葉は、軽いというか安易な感じがする。
言葉少なく、凝縮された想いが、歌詞となって歌われてたのに。

菊池さんも言ってるけど、
あの年の人たちの病気みたいなものなのかもなとおもう。
自殺って。
やることがなくなった、と思って、
生きるモチベーションがなくなって、
自殺、、か。

じじいになっても
輝きながら生きていけることって
何がありますか?

ブームとか流行とか、日本人は惑わされる。
自分自身の価値観を持っていないから、不安で、回りを気にし、合わせ、カメレオンになる。
外人、は割と自分の価値観を持ってる。
服装だって、そこにお金かけるより、自分の本当にしたいことにお金をかける。
宗教が無いのも、自信がないことのもとでもある。
心のよりどころがあれば、まだ自分の指針があるのだけど、ない。
親に無いから、子供もない。
そんな時代になってしまった。
社会はこんなに発達しなくてもよかったのかもしれないけど、
発達したおかげで、生きる意味とか、先人の知識のおかげで意識のレベルはすぐ高くなる。
ただ幸せとかは、どうすればいい?
愛する人を見つければいい?
見つけたけど、仕事がなくて、うまくいかなくなって、、。
愛する人と幸せな家庭をきづけばいい?
愛は冷めるの?
思いやりは冷めないよね?
優しさも持ち続けられるよね?頑張れば。
社会に対して何かメッセージをしたかったのだけど、
今、何をメッセージすればいいかわからない。
すぐ人のせい、社会のせいとかにする人がいるけど、
それを自分のせいだと、自分が引き起こしていることだと認識した方がいい。
その方が人間として成長するから。
みんな幸せになればいい。
でも悪も善もある。
自分のことしか考えない人がいる。
人間が多くなりすぎると、戦争をして人を減らそうとする。
ここまで進化すると大がかりな戦争になる。
すべては無に帰る運命。
だから全てを肯定して、いいように考えて、ポジティブに生きて、ちょっとした嫌なことには目をつぶって、
アフリカのあそこには、不衛生で食べ物もない子供達がいっぱいいることも忘れて、
できることをやりましょ。
とりあえう募金から?いらない服を送る?
それでちょっといいことした気分を味わう?
深く考えると自分の経済活動が止まっちゃうからね。
結局自分に不満なんだな。
まっすぐに、心をまっすぐに生きていきたい、はずなんだ。
だからとりあえず一人だけ幸せにしよう。
ほんとのこと、とか、真実、とか、大切なこと、とか、ほんとにいい音楽とか、そんなにはない。
ブームとかは時代を作ってるからいい。

なんかどうも社会全般的に冷めすぎてる気がする。
なにかしても、そこそこ楽しいけど、でもそれはそこそこぐらいまで。
そこそこ良かった、止まり。
やってはいけないことが、いつの間にかどんどん多くなり、
角が取れ、丸くなり、小さくなっている。
みんなそこそこいい人で、そこそこで満足するようにしむけられている。
社会全体が浮かれるようなそんな時代は、もう来ないのか?
萎縮した心は、そのままなのだろうか?
浮き沈みが激しい人生は、それだけでドラマチックだ。
人一倍、悲しみがあり、人一倍、喜びがあり、だから人生が豊かになる。
その時、その一瞬が強烈に脳裏に焼き付く。思い出がたくさん焼き付く。

恐れている?傷つくのを恐れている?
心を乱すのが、辛いから嫌なんでしょ?
心を乱されるのが嫌なんでしょ?
もっと尖らないと。
もっと人と違うこと、をしないと。

ちょっとでも飛び出す、とはみ出すとどうして、責められるようになったのだろうか?
気が弱い人たちが、自分の不満をぶちまけるように、ネットで言えるようになったからだろうな。

怒りで熱くなる、ことはある。
もっと イイコトで熱くなるようにしないとね。
恐れずに。