昔昔に書いた詩が出てきたので、恥ずかしながらアップしてみる。

なんか、この時自分は、相当グルグルしてたんだなぁ。。。


~~~ここから~~~


『星と月とそこに眠るすべての者達へ』


月が回る
いつからだろうか
それが絡まりだしたのは
陽が昇り
星が沈み
月は笑う


泣きながら走る子供達は
その先にある黒い陰を
見て見ぬ振りをする
ただ遠くに月の遠吠えを聞きながら
家路は遥か彼方へと続く


月の笑い声は
地響きを起こし
もう誰にも止められない
その回転は
留まることを知らず
星は静かに
見守ることしかできない



陽が駆ける
いつからだろうか
それが絡まりだしたのは


時が翔り
空を操り
地が踊る


泣きながら走る子供達は
その先にある紅い陰を見つめ
過去への階段を覗きこむ
ただ遠くに陽の吐息を聞きながら
夢を掴もうとする手は虚空を彷徨う



陽はどこまでも昇り
星はどこまでも沈み
月は轟きを隠さない



星が笑う
いつからだろうか
それが狂いだしたのは


時は静かに流れだし
空は眼(まなこ)をつむったまま
地は寝返りを打つ


どこまでも落ちてゆく子供達は
右手と左手を絡ませて
天と地をひっくり返す


黒い陽と紅い星は手をつなぎ
そして
月が回りだす



そう
私は傍観者

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特に書くことないので、昔やってた、散文をまた書いてみようと思ってみました。

と言うか、ツイッターでうまく散文できないかなぁ~、って思って試みてるんだけど、メールから送ると抜け落ちてしまう事があって、うまく繋がらない事がわかったんです。

なんかいい方法ないかなぁ~。。。要検討っすね。><

で、ツイッターの方は文章が繋がらなかったので全部消しちゃったんだけど、せっかく書いたので、こっちに載せてみようかなって。

せっかくなので、ツイッターの時の文章にじゃっかん加筆修正して、つぶやき毎に改行入れました。

ツイッターは、改行入らないからね。f(^^;


あ、題材、ちょっと重いので、読んで頂く方は覚悟の上でお読みくださいませ。。。(_”_)ぺこり


~~~ここから~~~

『人を信じること』


昔、若い頃は良く「死」について考えてた。最近は、忙しさにかまけて、そんな人間としての基本的な事を疎かにしてたような気がする。


昔は、「死」に対して怖さは微塵も無かった。自分の人生を全うできるなら、その事に悔いは無いと思ってたから。悔いがあったとしても、それが自分の「一生」なら、甘んじて受けられると思ってたから。
でも最近の自分は違ってきてる事に、自分自身がびっくりしている。「死」が怖くて仕方ない。それは、今が充実しているから?やり残してる事があるから?そのどちらもである事は、自分自身が一番良くわかっている。


人を信じたい。それは人として究極の願望なのかも知れない。人を信じる事ができないから、喧嘩をし、戦争が起きる。
人を信じれないから、人に頼り切る事ができずに、自分で実行する。それは小さい事から大きい事まで。
最近の若い子が何かに付け「わからない事はググれ」と言うのは、人を信用してない証拠。自分が人を信じれないから何でもググることを他人にも強要しているに過ぎないだけ。


人を信用できれば、きっと「死」を安らかに、真摯に受け止める事ができるのであろう。それが出来ないから、自分の死後に不安を持ち、死ぬことが怖くなる。
自分が死んだ後を憂い、不安を抱く。死んだらきっと、皆の記憶からは自分なんていなくなってしまうんだ、と言う念にかられ、更に人を信じれなくなる。そんな事を思っている自分にも嫌気が刺し、自分が見えなくなる。


人を信じる事ができれば、きっと自分をも信じる事ができるようになるのは、誰もが薄々感づいている事。信じたいけど信じる「術」がない、知らない。
人に裏切られる怖さ、痛みを知らない人は、直ぐに人を「嫌い」になる。「好き」になる努力をしない。そんな事に労力と時間を使うなら、「今」が楽しい事に逃げようとする。置いてかれた者の痛みを解ろうともせずに。
それでも、置いて去って行った事への罪悪感を持つ人は幸いである。痛みを知る事ができるから。その事が、その人のこれからの糧になる。少しでも人を信じる為の「術」になるのなら、それはその人の人生に必要不可欠な出来事となる。


人は人を信じ、人は人に信じられ、そして人は人に育てられ成長する生き物なのだろう。強い「心」を持つ事。それが、人を信じる事、ひいては自分自身を信じる事への唯一の術なのかも知れない。
人を信じる事。それは人生の命題であり、一生を賭けても答えなんか見付からないかも知れない。だからこそ、人は一生を賭けて人を信じる事の尊さを探さないといけない。

だから今の僕には「死」が怖くて仕方ない。


~~~EOM~~~