『皆さん、飲み物の準備はよろしいでしょうか。
では、右手にグラスを持っていただいて、
左手には夢と希望を持って、
ハイ、かんぱーい!』
この乾杯の音頭
ちょっとした飲み会の時には、
少しばかり盛り上がって、
皆さんの笑顔が見られますよ。
海が見える環境で育った私。
それだけで贅沢な環境だったことを今となればつくづく感じてます。
新鮮な魚も当時は毎日当たり前だったので、
有り難さなどあまり感じていませんでしたが、
それはそれは贅沢な環境だったのですよね。
今は、海が見たくても、見えやしないし。
海に沈む夕日なんて見えやしないし。
海のにおいなんてしないし。
売っている魚は新鮮かもしれないけれど、新鮮度合いが違うことは間違いないし。
いつかまた海の近くで生活したいと、
ずーーーーーーーっと思っていますが、
生活拠点を大きく変えるって、
現実的にはそんな簡単なことではないんですよね。
とはいえ、
沖縄が好きで、もう何年でしょうか。
綺麗な海を求め、毎年、沖縄に行っているんですよ。
沖縄本島もいいけど、今は宮古島にすっかりはまってしまって。
宮古島、大好き(*´ω`*)
コロナ禍の時は、
『宮古島には来ないでください』
『ウイルスを宮古島に持ち込まないでください』
医療崩壊してしまうから旅行に来ないで、なんてニュースでやっていましたね。
実際、宮古島だけではなく、どこの医療機関も医療崩壊に近い状態だったと思います。
話しを戻し。
今年もすでに宮古島旅行を計画しています。
与那覇前浜ビーチ。
ここはお気に入りの場所。
夕陽も綺麗。
泳ぎは小さいころから得意だったので、
身体がついていく限りは、海に潜りたいんです。
あと何年潜れるのかは分かりませんが。
海の中はとにかく綺麗です。
今年はちょっと早めに、
夏が来る前に宮古島に行ってきます。
そして秋にもまた宮古島へ。
これが、私が今一番楽しみにしていることです。
2011年3月11日14時46分
早いもので、東日本大震災から14年が経ちました。
当時、病院の透析室で働いていて、地震発生時、透析中の患者さんのベッドサイドに走った事を鮮明に覚えています。
定期的に災害時訓練を実施していましたので、スタッフ皆の動きの速さ、正確性はあっぱれと言えるものだったと思っています。
被災地で透析が続けられなくなった方々を迎えに行き、透析継続のために、職員が病院寮に泊まりこんで対応にあたったりもしました。
職員の透析に携わる医療人と使命感はすごかった!
震災後、被害に遭われた透析室施設の方々のお話を聞かせていただく機会がありましたが、想像以上の苦労があったことを知ることが出来ました。
その苦労の中の一つ。
建物の被害は少なく、透析は出来る環境だったが、透析に必要な物品・薬品が被災地に届かなかったと。
日頃の搬送方法は全く機能しなかったそうです。
そんな中、救世主になったのが『ヤマト宅急便』だけだったという話を聞いて泣きそうになったのも覚えています。

他の宅急便業者には、ことごとく断られ、頼みの綱は『ヤマト運輸』だけだったと。
ヤマトさんすごい!
震災の時は、助け合う熱意が行動を後押ししますよね。
被災地の方々から聞いた話は、これからも3月11日が来るたびに思い出すでしょう。
そのたびに、救世主『ヤマト運輸』のことも思い出すでしょう。

すごいよ、ヤマトさん!
数年前までは、
私は花粉症じゃない!
と言い続けてきましたが、
間違いなく花粉症なんですよね。
昨日から目の痒さがハンパない。
目ん玉取り出して、
ゴシゴシ洗いたい!
またツラい季節となりました。
すっかり書き方を忘れてしまったブログ。
ひよこさんから、
ブログに復活したとい う連絡をもらい、ひよこさんの記事を全部読み、色々な方の記事も読んでみました。
いいなぁー、ブログ。
何かを呟きたい時ってありますものね。
気が向いた時に、また書いてみようかな、と思ってみたり。
近況
まだ看護師を続けていますが、
病院という医療施設からは離れ、
今は高齢者福祉施設で働いています。
新たな分野で悪戦苦闘中。
分からない事が多くて、
職場の皆さんに色々と教えていただきながらの毎日。
まぁ、相変わらず忙しくしております。


