世の中はデジタル化、ペーパーレス化とかまびすしい。日本政府はデジタル庁なる監督官庁を立上げ「日本のデジタル化」に躍起になっているようだ。坂本龍馬のごとく「(デジタルをもって)日本を今一度洗濯いたし候」的なノリだ。しかし、デジタル化が叫ばれ出したのは何もここ最近のことではない。この世にインターネットが登場した1995年あたりからデジタル化という表現は存在し続けてきた。コンピューターの歴史そのものが人類のデジタル化の歴史である。

 

デジタル化とは平易に解釈すれば表現手段やコミュニケーション手段がアナログからデジタルに置き換わることだ。これ以上の技術的なことにはあまり興味がない、というのは負け犬の遠吠えで、実のところ勉強してもどうせ解らないと鼻から諦めている。多くの人にとってデジタル化なんてこんなものだろう、、であってほしい。

 

僕にとってデジタル化とペーパーレス化はほぼ同義だ。そしてペーパーレス化とはどういうものなのか実像を掴みたい。紙が電子媒体に置き換わるということの意味をきちんと理解し、それが自分の仕事や生活にどの様な影響を及ぼすのかを知りたい、おおいに興味がある。

 

人類は紙の登場で物事を記録することができるようになった。紙は偉大だ。ユダヤ教の教えが書かれたトーラーは羊皮紙に記録されたし、時代が進んで中世では活版印刷が聖書の普及に及ぼした影響ははかり知れない。キリスト教のみならず宗教の普及に紙は欠かせなかった。実はペーパーレス化が叫ばれる今でも聖書は本の方(紙!)がしっくりくるという人は多いそうだ。人類は、パピルス以来4千年もの間、紙(神!?)の恩恵に浴してきた。それを今更ペーパーレスとは何事だ!と紙の神さまが怒りそうではあるが、そうした冗談はさておき、このブログを通じてペーパーレス化について考えてみたい。文字通り「紙なき世」に関する雑考のはじまりだ!