母親は子どもを心配する。健康とか学習面とか将来ちゃんとやってけるかとか。

そりゃあそうだろう。

でも、ここで一度立ち返ってほしいのは、問題(?)は子供にではなくて、自分のなかにしかないっていうこと。子供にいくら投影しても、自分のなかだよ。

子供、近親者、とっても分厚く揺るぎない鏡。
をちゃんと用意して、自分のなかの不安や恐れ、心配を見ている。

だから大丈夫なんだよ。

その持ってる不安とか恐れ、自分を縛ってるものはなんなのか、息苦しくさせているものはなんなのか、ひとつひとつ、のぞいてみて。

本当は悲しかったこと、寂しかったこと。

ひとつひとつ。

元に戻っていんだよ。なにももってなかった頃に。

目をそらしていたことでも、子供はちゃんとそれを見せてくれると思うよ。

だから大丈夫。

子供になにか問題があるのではと感じたら、やはり怖いと思う。

これは、友達に向けたメッセージでもあるけれど、普遍的でもある。

発達障害、いまほんとよく耳にするようになった。職場でもそう。

「あの人は発達障害なんじゃないか」とか。

わたしは、それに興味ない。

もちろん、どういうものなのか知ることは大切なんだろうけど。

それをどういう意識で発してるの?


発達障害。であってもなくても。

いろいろあるのでしょうけど、子供に対して周りの大人ができるのは観察くらいじゃないかな?

観察。

その子がなにが好きで嫌いなのか。なにに夢中になるのか。どういう状態だと落ち着いてるのか。気持ち良さそうにしてるのか。反対にどんな状況を嫌うのか。

反応。

それが、その子なんじゃないかな。

発達障害でくくらず、あてはめず。

その子の反応が、その子なんじゃないかな。

どんなに他と違おうが、理解出来なかろうが。

それが、その子。

そこで、理解に苦しむなら、無理に理解しようと思わなくていい。分かってあげられないことを責める必要なんて全くない。理解できなくても、そうか~そんな反応するんだ~。水のように流していいと思う。

ただそれだけ。

これでは社会に適合できないのでは?とか不安材料はきっとたくさん沸いてくるんだろうけど。けど思う。

その反応ってなにより尊い。

そして、あ母さんの反応も。

いままで抑圧してきたものを子供はちゃあんと見せてくれるから。

なんかまとまりがない。。うまく言えないが、、

大丈夫なんだということを伝えたい。

強く、大きく、ゆるぎなく。


大丈夫なんだよ。


お母さんも、子供も、そしてひいては皆。





緊張と弛緩

拡大と収縮

など。

これの繰返し。そして、肉体を離れるその瞬間は、弛緩や拡大のとてつもないバージョンが待っているのだろう。考え方や生き方をこれでもか、これでもか、とぐいぐい、ぎゅうぎゅう、がんじがらめにしたら、したほど、その差はすごそう。だからそれはそれでいいのかも。すごい解放感待ってそう。
 びよ~ん、とのびにのびきったゴムのような意識にすでにあったら、その差はあまりないかも。 延長のような感じか。どっちにしろ、その解放を知っている。その癒しを知っている。みんな。

、、、と、仕事を辞めるたび思う。
「伝える」ということについて。

ちょっと前、伝えたいことをうまく伝えられず、もどかしい思いをした。

話が対立❓みたいな状態になるとき、わたしは緊張する。ばくばくどきどきしてきて、自分が話したい本筋からずれて、遠くはるかかなたのようなことを口にしてしまう。
そうなると、それはもう嫌(笑)口を閉ざす。本筋からずれるくらいなら言わない方がいい(--)


「A」というものについて話すとき、Aのどの部分を話すのかを特定するのが必要。この世界において、物事は多面的で、決してあるひとつの性質だけではないから。

で、ですね、
わたしは、「意識」
どうしても意識。それがわたしのクセというか好みなんだと思う。そのものの意識が気になるのです。それがいいか悪いか、正しいか正しくないのか、とかではなく、その意識のありよう、を見てしまう。意識に興味がある。

だから、良いか悪いか、イエスかノーか、間違ってるか正しいか、の側面のとこは、ぼうっとしてしまう。もちろんその面での答えはある。。んだろうけど、「意識」でいくときは、もうないな。そこにはない。




それで、話しはずれてしまったけど、
伝えること。色んなものを一杯つけてたな。傲慢、見栄、正しさ、分かってもらいたい、などなど(* ̄ー ̄)


「伝える」
ということは、より純粋なものなのかもしれない。

そうなんだな。正しさが必要なわけではなく。

伝えることをより純化するためにはどうしたら?

より純化したら、それはもう私(個)ではないのかも。大きな深い源泉にふれるものかも。

そう思うと、、そうか。

同じ源泉を見てる感じ。話してる間、ちがう角度から、同じ源泉にふれ、同じ源泉を囲み、覗きながら、

そういうのできたらいい。してみたい。