(5)昇天
1昇天の預言
(詩68:18)あなたは、いと高き所に上がり、捕らわれた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこの住まわれるために
68篇は、神がシナイからエルサレムに入る様子を歌った歌です。
・その様子は、凱旋将軍捕虜を連れて高き所へ上って行くようなものである。
頑迷な者→反抗する敵

ぴん!パウロ(エペ4:8-9)で引用している。
「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた」

ぴんパウトは詩68:18イエス・キリストに適用している。
ぴんエペソ4:8は難解です。なぜなら、パウロは書かれてある通り引用していない。
ぴんパウロは当時のラビパイサイ人的解釈をしている。

ぴんユダヤ人の仲介書タルグム(アラム語)の解釈を採用して書いたのです。ユダヤ人に語りかけ説明するためには、この方法はユダヤ的には許される引用法なのです。

比較の違いは?
(詩68:18)みつぎを受けられました
(エペ4:8)賜物を分け与えられた
・これをキリストに適応し、キリストが天に上り人々に聖霊を与えたとパウロは解説したのです。
※その他の預言聖句(詩110:1)(箴30:4)

キリスト自身が言われた事
(ヨハ7:33)
・昇天の預言です。
・あたながたは来れない→パリサイ人

(ルカ9:51)
・昇天の預言です。
・イエス自身は自分が天に昇ることを十分に意識して、十字架への道を歩んでいる。

2昇天の成就
(ルカ24:50-53)、続編(使1:9-12)
復活のキリストが天に上った場所は、ベタニアの辺り。オリーブ山の東側です。
・夢や幻ではない、文字通り肉体(栄光の体)をもった昇天です。
父なる神によって、キリストは天に上げられて、すべての被造物に対して権威を持つ地位に就かれた。
・キリストの昇天は、弟子たちが天を見上げ、キリストが手を広げて弟子たちを祝福した。このように時間をかけて、キラキラシャカイナグローリーに包まれ天に上っていかれた。

乙女のトキメキキリストは同じ有様、キラキラシャカイナグローリーとともに地上に戻ってこられる。
(イザ63:1)再臨ボツラです。帰って来たあと、敵を滅ぼし、その後オリーブ山の頂上に立つ。

3昇天の結果(意義)
キリストの地上生涯が終わったことを示す。
・キリストは父なる神のもとに帰還された。
ベツレヘムでの誕生から始まり、キリストの地上生涯は昇天で終わった。
・キリストの地上生涯は成功に終わった。
ぴん父なる神の御心を行ったから。
ぴん旧約聖書の預言が成就した。
栄光の姿に戻られた。
(マタ17:1-9) 地上生涯での出来事

父なる神の右に座に着座され、新しい働きの領域に入られた。
・神の右の座(権威の座)
(使2:32-36)(エペ1:19-23)(ピリ2:9-11)(ヘブ1:13)

聖霊の時代が到来した。
・キリストは昇天したが、もうひとりの助け主が来られた。それは聖霊です。
 

イエス様は「もうひとりの助け主」送ると約束されていた。
・「もうひとりの助け主」は、ギリシャ語でパラクレイトス
・イエス様とは違った助け主を送る。
・聖霊がくるとは、イエスが父なる神のもとに帰還した後に成就することです。
・教会時代といわれる今の時代は、聖霊の働く時代です。
(ヨハ14:16-18、14:26、15:26、16:7)
 

・この約束は、ペンテコステ(五旬節)の時に成就した。(使2:32-33)

キリストは教会の頭となった。
・昇天し、聖霊をくだしたキリストが教会を生み出した。その教会のキリストです。
教会の誕生日は、ペンテコステ(五旬節)の日です。
 

教会にはメンバー(会員)がいなければならない。

・キリストがであれば、首から下がなければ、教会キリストの体と比喩的に言えない。

・首・胴・手・足などの体、それが教会員1人ひとりです。
 

ぴん五旬節の日に、イエス・キリストを信じた者たちは教会バブテスマされた。(they were baptised)聖霊によってバブテスマを受け教会が誕生した。
 

ぴんキリストの体である教会バブテスマされて(in to the body of christ)教会の一員となった。

ベルイエス・キリストを救い主として告白する人は、告白した瞬間聖霊よって教会の一員としてバブテスマされている。
聖霊 わざ であるが、究極的には聖霊を遣わしたキリスト わざ です。昇天したキリストがそれを行っている。
(使1:5、2:33)(Ⅰコリ12:13)

その結果

・信者は古い生活から分離され、新しい命に生きるようになった。(ローマ6:4-5)

・キリストは教会にさまざまな賜物を与えた。
(エペ4:7-13)(詩68:18)
(ローマ12:3-8)(Ⅰコリ12:4-11)賜物の代表的な種類
 

教会に賜物が与えられているとは、教会をたて上げるため。
・ひとりクリスチャンは賜物を発揮する場がない。賜物の講師をする場がない。
聖霊の賜物恵によって与えられるもので、ゼロという人はいません。最低1つはあり、複数もっている人もいます。

・自分の与えられている聖霊の賜物が何であるかを考え、祈り求める事は重要です。

大祭司となられた。
・旧約の大祭司はアロン(レビ族)で、アロンの家系から出る人が大祭司。
・イエス・キリストはユダ族です。もしキリストがレビ族出身の大祭司なら、まだ旧約の律法は生きている事になる。
※レビ族から出る大祭司は、旧約の律法の殆どを実行するために必要な制度。
・キリストが来られた時、モーセの律法全て成就した。
・キリストが大祭司であるとは、レビ族系の大祭司職とはまったく異なった大祭司職が誕生したという事なのです。
・聖書は、キリストはメルキゼデクの位と等しいといっている。

大祭司の役割は

・旧約聖書では神とイスラエルの間に立つ人が大祭司。

・神とイスラエル、全人類の間に立って仲介者の役割をする。
※日本人は、神がいかに聖いお方であるかを十分に理解していない。だから、いつでも誰でも神のもとに行けると思っている。

 

ベル罪人に近づくためには、大祭司という仲介者が必要です。キリストは昇天して大祭司となられ、そして私たち一人ひとりの為に 執成 とりな しをしています。(ヘブ7:25)

・人間の弱さを思いやってくださる大祭司(ヘブ2:18、4:14-16)

私達のために住まいを用意してください。
(ヨハ14:1-3)
・この聖句は携挙のことを教えている。
・わたしの父の家→天国のこと。
・キリストは場所を用意するために、今も私達のために働きをしておられる。そして用意ができたら戻って来ます。

星キリストが地上に戻って来られるタイミングは、父なる神が決めています。

●結論
(1)普通的救いの教えは、非聖書的である。

ひし形・大聖書の預言によれば、終わりの時代とは、教会が背教する時代です。

ひし形・大背教とは、使徒たちが教えた中心的な教理が否定されて、人間的に考えだされた教え横行する時代です。

セカンドチャンス論
信じないで死んだ人は、死後にもう一度福音を聞いて信じるかという第2のチャンス。これは聖書的は教えではありません。

ユニバーサリズム、ユニバーサルサルベーション
不変的救い、不変主義。キリストは十字架で死んでくださったから、全ての人は救われているという教え。この教えは非聖書的です。

教会はあるとき携挙されます。
携挙されるのは普遍的教会です。

 

同じ教会に集っている人達の中に、携挙される人と携挙されない人がいる。何が違うのか?

・救われている人は、信じた瞬間に聖霊によって教会バブテスマされる。普遍的教会の一員となる

・地域教会に通っていても、本当に信仰によって救われていなければ、その人は普遍的教会のメンバーではない。

携挙の前に死んでいたら?
・生きている人よりも先に、復活の体を与えられパラダイスに行く。

・生きている人は生きたままで、途中で栄光の体に変えられる。白い義の衣が与えられる。

 

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