世の中の魅力的なものに触れると最近はつい涙が出ちゃう。これは涙腺が弱くなったとかそういうものでは無くって、なんていうか平然と良いものが世界に溢れ返っていることに対して
もうそれだけでどうしようもないくらい感動しちゃうってこと。きっとこれは苦しいし嬉しいし素敵コトなんだろうな。良いものに触れると自分のだめなところ、知識経験力量のなさが露呈するから触れれば触れるほど悔しくってかなわない。でも、そういった色々がないからこそ今だからこそ出来ることがあると思いたい。
もうだめだきっと自滅しちゃう日がやってくる。恋と文化について考えて恋と表現についてばかり考えているから
きっと神様はカンムリ曲げているんじゃないかしらって少しビクビクしている毎日よ。
もうそれだけで鼻の奥がツンとなるような、何も無いのにそれだけで鼻の奥がツンとなるような。ただウーロン茶飲んでいるだけで目頭おさえちゃったりする。
ろくでなしろくでなしろくでなしって何回言ったら果たして空を飛んできてくれるのか!
iPhoneからの投稿
この数ヶ月は普段よりも愛について考えていなかったのだけど、最近ぐぐぐっと愛を目の当たりにしているからなのか、はたまた春だからなのか、またほんの少しだけ愛について考え始めている。生きて生活して文化的なものに触れるだけでいっぱいになってる。くだらねえクソみたいな今の私に愛なんて聞かれたらとても困るしこの先長い間そうゆうものに触れることが出来ないような気分になっているんだけど、よく考えたら中島らもだって結婚しているんだしいつか自分も家庭を持つのかもしれないと思えるようにはなったが本まみれの部屋でヘラヘラしながら文章ばかり書いているようじゃあ、てんで駄目なんだろうなと思う反面この自分の現状が憎めないのもとても悔しいような情けないような気分になる。
だって愛を知っている人は強いしなにしろ圧倒的に美しいと思ってしまうもので。破壊されていた今までの美学とはとても遠いところに来ていてそれはとても良いことで、ついでにそれはある若者のおかげで(自覚はないのだろうけどね)ああ助かったああ、というような変な気分だよ。今夜はもう眠るかな。
誰かに会うことで帰り道に本なんて投げ捨てて両手にCDをごっそりと持ちたい気分にさせてくれる人がこの世に何人いるのかそして今後そんな人と出会えるか分からないが、もし出会えた時は全力でその人を大切にしようと思う。それはもちろん音楽に詳しい人っていう意味ではないよ!恋とか友情とかそんなものともチョット違うなんていうか、ある種の表象みたいなモノなのである。
春はもうすぐ死ぬ。ひょっとしたらもう死んだかも。なぜって桜の開花ももう間近だからね、それはきっと死と呼ぶことが出来るだろう。そしてまた来年、春になったら春は生き返るのかもしれない。希望的観測にすぎないけど。春春春とずっと言っていたけど秒速で春は終焉を迎え、じゃあ今度の季節は夏ですと。夏を心待ちにしたい気分はあるけれど、それにしても夏の主張の強さはもはや憎むべき対象ね。
夏は暑いし閉じてるし、圧倒的に嫌だぜ、でも、はやく夏になんねえかしら。って一瞬ちらっと夏を心待ちにしたけれど夏はやっぱりいらねえや、きらっきら。
iPhoneからの投稿
だって愛を知っている人は強いしなにしろ圧倒的に美しいと思ってしまうもので。破壊されていた今までの美学とはとても遠いところに来ていてそれはとても良いことで、ついでにそれはある若者のおかげで(自覚はないのだろうけどね)ああ助かったああ、というような変な気分だよ。今夜はもう眠るかな。
誰かに会うことで帰り道に本なんて投げ捨てて両手にCDをごっそりと持ちたい気分にさせてくれる人がこの世に何人いるのかそして今後そんな人と出会えるか分からないが、もし出会えた時は全力でその人を大切にしようと思う。それはもちろん音楽に詳しい人っていう意味ではないよ!恋とか友情とかそんなものともチョット違うなんていうか、ある種の表象みたいなモノなのである。
春はもうすぐ死ぬ。ひょっとしたらもう死んだかも。なぜって桜の開花ももう間近だからね、それはきっと死と呼ぶことが出来るだろう。そしてまた来年、春になったら春は生き返るのかもしれない。希望的観測にすぎないけど。春春春とずっと言っていたけど秒速で春は終焉を迎え、じゃあ今度の季節は夏ですと。夏を心待ちにしたい気分はあるけれど、それにしても夏の主張の強さはもはや憎むべき対象ね。
夏は暑いし閉じてるし、圧倒的に嫌だぜ、でも、はやく夏になんねえかしら。って一瞬ちらっと夏を心待ちにしたけれど夏はやっぱりいらねえや、きらっきら。
iPhoneからの投稿
先週アンゲロプロス監督が亡くなった、交通事故で。私は高校生の時に授業をさぼってアンゲロプロス作品を観ていた。暗澹としたエレニ・カラインドルーの音楽がぎゅうって押しつぶしてくる。私は何をやってるのだろう、彼の作品を観ていたらそんな心地になっていたのでした。もっと早くアンゲロプロス作品に出会っていれば長回しの美しさをより知れたのではないか、と思っているけれど、高校3年生で観るくらいがちょうど良いのかもしれないね。しかし財政難による政策の一つにパルテノン神殿が一日16万円で貸し出しを始めたことが話題になったけれど財政難のギリシャにとって彼の死はどう捉えられているのだろうか。
そして昨日は、川勝正幸さんも亡くなったアンゲロプロスの後に出すのも奇妙な話だけど、サブカルチャーにも大きな影響を受けている私としては導いてくれていた人が亡くなってしまった感じ。
4年前は死についてばかり考えていて
こんなしょーもねえ場所で鬱屈としているくらいなら、生きるとか死ぬとか全てひっくるめて自分をどうにかしなきゃみたいな気持ちで生きていたものだから、私になんらかの影響を与えてくれた人が亡くなるってことは、上手く言葉に出来ないけど考えさせられるものがある。
でも最近ね、4年前から続いていた鬱屈に私なりの答えが出たんだ。どんな場所やどんな環境にいても意味はあるなんてよく言うよね、舐めんなよてめえって思っていたの、ずっと。だって生きるということは有限でいつ死ぬかわからないんだから、可能な限り自分のやりたいことが最大限発揮できて生温くない場所に身を置きたいみたいな気持ちがある、ヤッパリ。でも生きるってことにはどんな場所でどんな環境だったとしても、何らかの意味というか理由というか、そういうものがあるんだなーって実感した出来事があったから私は嬉しくって仕方なかったんだこれがいわゆる因果論ってやつなのかしらって思っちゃったくらい。
――――――――――――――――
「春の熊くらい好きだよ」「春の熊?」と緑がまた顔を挙げた。「それ何よ、春の熊って?」「春の野原を君が一人で歩いているとね、向こうからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱き合ってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろ?」「すごく素敵」「それくらい君のことが好きだ」
――――――――――――――――
たまにノルウェイの森が読みたくて苦しくなる。ワタナベ君みたいな男は嫌いだけど憎めないし、ミドリみたいな女の子がいたら彼女のチャーミングさにたじたじしちゃうことだろうと思う。
アートも音楽も、文学も映画も、魅力的だと感じる上で文化的なこと一切において、詳しい必要なんて全くなくって結局はその人自身のセンスなのかなって思う。それはちょうど、ハリウッド超大作のような映画を何百本も観ているような人よりも、たまたまルイ・マルの『恋人たち』のベッドシーンを観て悶々としちゃうような、思春期を過ごした人に魅力を感じるってことなのかもね。
iPhoneからの投稿




