ねこ其の捌

越から来た女の産んだ【ゑ津】の子孫

西乙眞の父西勘一の長男

西眞太郎

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ねこ八・捌・末広アメンバーぼしゅう中!

8は横にするとねこ無限∞・多くのという意味もあり日本では吉数

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西眞太郎はごく普通の東京の女と結婚した

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入間郡飯能(当時時の地名) ねこ天覧山】のふもとの料亭【東雲亭】にて結婚披露宴

ねこ天覧山は明治大帝が陸軍の軍事訓練を視察してつけられた山の名前

 

otomaの母 福山富士子という女

富士子の両親は九州熊本県玉名の長洲という有明の海辺に住んでいた

熊本地震があった辺り、今も【otomaの従兄】が住んでいる)

父親熊雄は富士子の母みつると結婚し菓子屋の養子になったが養子先の家業を嫌い

国鉄勤務をやめなかった

otomaの母方祖母みつる

祖母は宮崎の都城生まれ

熊本の姻戚の菓子屋に養女に出された

大切な跡取り娘として育つ

幼い頃から芸事を仕込まれ筑前琵琶の師範になる

国鉄職員の富士子の父親は(オトマ母方祖父)

国鉄の転勤で(国鉄とはねこ今のJR)九州の門司駅から東京駅に来た

富士子の姉、律子は菓子屋の跡継ぎ娘として

九州の富士子祖父母のところに置いていかれた

律子は何不自由なく、祖父母の元で育ったが

後に父母に置いていかれた事を恨んでいたと富士子に話したという

実質的に次女富士子は長女の役割をした

それがフジコの最初の受難となる

(富士子の姉律子は婿養子を貰い菓子屋い受け継ぐ)

otomaの母、富士子は戦後まもなく19歳で父を病で亡くした

フジコの下に弟妹6人の子供を残して

曼珠沙華

父熊雄は42歳男の大厄だった

 

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眞太郎、富士子が結婚して

 

5年後

 

マタローとフジコの子供オトマが生まれる

1957年6月11日(火)13時55分東京生まれ富士子の実家近くの病院

そして2歳の時父の故郷に移り住んだ

勘一は跡取り孫娘のオトマを可愛がった

オトマも洒落者のジイジが大好き

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越から来た女の曾孫

私の祖父西勘一は碧眼の男だった

どくしゃになってね!

 

 

ペタしてねつづく

 

【墨呂空】