相手の立場に立つ。

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昨日、尊敬している堀元さんのブログにこんなタイトルのブログが掲載された。

 

「何者でもないあなたのアドバイスは、誰も求めていない。──拝啓、23歳のキミへ」

 

「誰のことだろうな~」と思いながら読んでみたら、なんとぼくのことだった。

 

自分の考えや行動がかなりズバズバと批判されていたけど、一貫して「~のように思う」という言い方をしていた為か、全然腹は立たなかった。

 

しかし明確に反論したいことがあるので、このブログに書くことにする。

 

 

※堀元さんの書いたそのブログはこちら

 

何者でもないあなたのアドバイスは、誰も求めていない。─拝啓、23歳のキミへ。

 

 

 

●何者でもない者からのアドバイスが有効になる場合がある

 

まず、

 

>「今回の変な怒りを抱いてしまった理由は『自分は何者かである』という錯覚であるように思う」

 

とあるけれど、こんな錯覚はぼくは持っていない。自分が無名で無力であることは充分に自覚している。

ではそんなぼくがなぜわざわざアドバイスをしたのか?

 

それは、「何者でもない者からのアドバイスが有効になる場合がある」と考えているからだ。

 

いや、堀元さんの言うことはよく分かる。というかむしろ、「本人は誰よりもそのことに関して考えているんだから余計なアドバイスをするな」という意見に120%同意する。

ぼくも勝手にアドバイスをされることが死ぬほど嫌いで、ぼくのことやぼくのやっていることをよく知らない人に「こうした方がいいって!」と言われると腹が立つのだ。

 

自分のことを思ってくれているその気持ち自体は嬉しく思いつつも、「ぼくがこのことについて何百時間考えてると思ってるんだ? あなたがパッと今考えたことすら分からないわけないじゃないか。ナメてるでしょ……」と思ってしまう。

このことで問題になって友達を失いそうになったこともあるくらいだ(仲直りしたけど)。

 

だけど一方で、そのことについてめちゃくちゃ考えている本人でも分からない領域があるとも思っている。

 

その最たるものが「気遣い」「感覚」だ。

 

 

 

●気遣いと感覚に関しての問題は、考えても分からない

 

「気遣い」というのは、最も基本的であるのに最も難しいテーマだと思う。

どれだけ相手の立場に立っているつもりでもそれは「自分が想像する相手の立場」でしかなく、「よかれと思ってこうしたんだけど相手を不快にさせてしまった!」ということは誰でも毎日のように経験していることだろう。

死ぬほど考えても、完璧な気遣いをし続けることは極めて難しい。


また「感覚」についても同様で、たとえば堀元さんは最近「ブログの色味のセンスがない」と色んな人に批判されているが、ぼくもそう思う。しかもその批判を受け改善したつもりが何故か改悪されてしまっている(「ぼくの感覚では」悪くなったというだけの話かもしれないけど)。

自分のブログについて毎日誰よりも向き合っている上に頭も良い堀元さんが、なぜ素人に指摘されるような問題を起こしてしまうのか?

 

それは、感覚というのは文字通り「感じるもの」であり、「考えて分かるもの」ではないからだ。

 

 

つまり、「気遣い」と「感覚」の問題に関しては、「①指摘されなくても分かりきっている問題だから」があまり当てはまらないのである。

 

では、「②トレードオフを考えていないから」という観点に関してはどうか?

言うまでもなくこれらの問題を改善するのにコストはかからないから、やはり当てはまらない。

 

以上の理由から、「気遣い」と「感覚」の問題に関しては、「何者でもない誰か」がアドバイスをしていいのだとぼくは思う。

 

 

(だからぼくは頻繁に、「今日ぼく何か気に障ることしなかった?」とか、「このデザインどう思う?」とかいうことを訊く。

ついこの前も、相談に来てくれた不登校の子に「なんか気になったことあったら教えてくれる?」と聞くと「第一印象がちょっと固い印象を受けたのとレストランで少し声が大きかったのが気になりました」と言ってくれたので、「マジか!それは気がつかなかった、ありがとう!」と言った。)

 

 

さて、では肝心の、堀元さんのブログに書かれた件でぼくがしたアドバイスはどういうものだったか?

 

 

・こちらがメッセージを送っているのに無視された。返信をするべきだし、返信をしなかったのなら謝るべきだ。

 

・どこのインターフォンを押せばいいのか分からない。不登校の子は新しい場所は不安なので、もう少しわかりやすく書くべきではないか。

 

・インターフォンを押して出た経営者の声が事務的なトーンだ。不登校の子はやはり不安だから、もっと優しい温かい声の方がいい

 

・室内に入ってから居心地が悪い。スタッフがたくさんいるのに、全然コミュニケーションを取れない。なんでこんなコミュニケーション能力ないヤツがスタッフやってるんだ?

 

・経営者にも同じものを感じる。実は学生時代にイベントであったときも同じものを感じた。そのときにも、わざわざ遠方から来た客に「わざわざ来てくださってありがとうございます」みたいな声掛けも何もなしでほったらかしだった。

 

 

1つ目以外は全て「気遣い」と「感覚」の問題である。

 

本人が気づいている可能性は低いだろうし、改善するのにコストはほとんどかからない。

だからアドバイスしたのだ。

 

 

しかし、ここでこれを読んだ人はきっとこう思うだろう。

 

「でも、求められていないじゃないか!」

 

と。

 

そう、多くの人が「求められていないのにアドバイスをしてはいけない」と信じている。

しかし、これはどんな時も絶対に守らなければならない鉄の掟なのだろうか?

 

ぼくは、これはただの「原則」に過ぎないと思う。

人間関係や状況によって、「求められていないのにアドバイスをした方がいい場合」というのは存在する。それもけっこう多く。

 

そして、今回問題になった件はそういう場合だったと思う。

何故か? その「他社」が、重大なリスクを抱えていたからだ。

 

不登校の人の多くは、色んな人や組織に傷つけられ心に傷を抱えている。それで人と関わるのが嫌になって閉じこもっていたところを、このままではいけないと、ありったけの勇気を出してその「他社」に行くのだ。

 

しかし、そうやって行った「他社」で、インターフォンの位置が分からなかったらどうなるだろうか?

なんとか部屋に入っても、5人の大人に囲まれ無言で見つめられたらどうなるだろうか?

 

さっさと帰って、より深く引きこもってしまうかもしれない。新たなコミュニティに飛び込むことを今まで以上に恐れ、二度と部屋から出なくなってしまうかもしれない。

 

そういう取り返しのつかないリスクがあるように感じたから、これはアドバイスをしないといけないと思った。

その他社と、そこにこれから来る不登校の子、両方の為に。

 

ぼくはDMでこの意図もきちんと伝えたのに、それを無下にするのはやはりどうかと思う。

 

求めていなくても邪険にしてはいけないアドバイスはある。

 

今回の「リスク」についてのアドバイスはその部類に入るだろうし、そういうアドバイスにさえ「求めてないのにうるせーんだよ」と言うなら、その人には謙虚さがないと思う。

 

だから、ぼくは全然悪くない。

 

 

……とはもちろんならなくて、当然ぼくにも悪いところはある。

1つ目の「メッセージを送っているのに無視された。返信するべきだし、返信できなかったら謝るべきだ」というやつだ。

 

正直今でも、

 

「『不登校の人を助けたい』っていう利他心でやってるんなら、無名であっても同じ想いを持っているぼくにもう少し優しくしてくれてもいいんじゃないの?少なくともぼくが逆の立場だったらこんな対応絶対しないね」

 

とは思うけど、それは「そうしてくれた方が嬉しい」というだけの話であって、義務があるわけじゃない。そこは確かに履き違えていた。

 

で、履き違えていたせいでかなり怒っていたから、かなり喧嘩口調でアドバイスをしてしまった。だからブロックされたのだし、その点はぼくが悪い。

 

 

それは認めるんだけど、とにかくぼくは堀元さんと堀元さんのブログの読者から、

 

「この子はクソバイスをする子なんだなぁ。可哀想だなぁ」

 

と思われることだけはどうしても避けたかった。

 

ぼくは、「何者でもないのによく知らない相手に勝手にアドバイスしてはいけない」というのを基本的にはしっかりわきまえている。

 

今回の件は

 

・大きなリスクを感じたからアドバイスをするべきだと思った。

・怒っていたから口調が喧嘩腰になった(これはぼくが悪い)。

・アドバイスのほとんどは「そんなこと分かりきってるわ!」と言えることの少ない「気遣い」と「感覚」に関してだった。

 

ということをどうか分かって欲しい。

 

 

まぁでも、あれだな……。要は「何者か」になれば何もややこしいことはないんだよな……。

早く何者かになりたい……。