複数図書館より複数貸りているため

今回は延長せず読み切り

図書返却日を迎えると

返却するのが惜しくなり

特に気に入った一編

「最後の木地師 新子薫[奈良]」を

再読

道なき道を踏んで名も無き山に

何カ月、何年間とこもり

杓子を作り続けたという

最後の木地師のお話

私は本を選ぶときはまず

Amazonの紹介文を読み

読者評価をチェック

読書感想文を読み良さそうな本を

近隣3~5市の市立図書館で蔵書検索

図書館に出向き各本の目次と後書き

出だし1~2ページを読み

面白そうだと感じた本に限り借ります

だから必ず面白く

花関係の本などは

毎年その季節になると借りに行き

延長して1ヶ月も借り続ける

なんて本もあって

もはや市立図書館は私の書棚であり

よほどでないと本を買うことはなく

また読み終えたら

遠くの図書館に戻してしまうため

かえって一字一句読み逃すことのないよう

筆者の本意を正しく読み取るよう丁寧に

暗唱できほど噛み締めて読み進めるため

読破にはかなり時間を要します

さてさて

「木地師」ですが

木曽福島に行くと

大蔵、小椋、堀川姓の

木地専門の店があるといい

伝承によるとその技術は

滋賀県小椋村が聖地で

木地師は

大木を求め山々を巡り

生計を立てて来た

流浪の民で

長野県や埼玉県秩父地方

一部、東京都の奥多摩にも

峠越えをして入ってきた

という話を読んだことがあり

秩父の山人の本にも

木地師のお話がありました

私が大好きな

秩父の小鹿野市両神には

群馬県上野村、秩父郡日野沢村

新潟県舘腰村、山形県津川村と移り住み

2002年まで現役で

伝統の技を守り活躍していた

小椋さんという木地師がおられました

先日、訪ねたマタギの故郷

日本一の豪雪地

長野県栄村「秋山郷」にも

栃の木を材料とする木鉢など

木工製品を制作する木地師がいました

平野の里では木地師に対する

蔑視があったようで

「木地師」という呼び方は

蔑称だから使わない

という方もおられたそうで

民族学者柳田国男氏によると

「ふるくから山奥の原始林地帯に入って
木地の材料を求め、これを加工して
いろいろの木器を造って里に出していた
近江の君ヶ畑や蛭谷などを心の故郷とした
これら同業の人々は
近江、伊賀、伊勢はもちろん
北陸にも東海にも東北にも
また中国から西国の果ての九州の島々にも
いたるところその足跡を残している

箱根の木地屋は一時寄木細工などをしていた

明治になって山林を自由に伐ることが
できなくなった木地師は
まず少し有能な士は里に下りて来て
木地の卸売りをし方々と連絡をとって
大規模な生産や供給をした
次に能力の乏しい方は
コケシなどを作るようになった
のではなかろうか」

などと解説しています

ネットで様々な論文を読んでみると

木地師の歴史は深く

多くの方々が関心を寄せられていて

様々なレポートを読み進めると

石川県の漆器の産地

塗りの輪島
蒔絵の金沢
木地の山中

塗りや蒔絵の素晴らしさはもちろんですが

なかでも「木地の山中」が

山中温泉の伝統工芸の

「山中漆器」

現在わが家のお椀は

木目と木の感触が気に入り

偶然

「山中漆器」です

木地とは

原木を

椀や蓋物、箸などそれぞれの製品形に

作り出す技術をいいます

山中の木地師も

安土桃山時代に福井から

木地師集団が良材を求め

移住して来たことで始まったそうで

当時から山中は温泉場として

湯治客が訪れておおり

山中漆器は

土産物としても作られたそうです

昨年の夏は家族旅行で

木曽妻籠宿を訪れましたが

木曽は

もちろん千年も昔から

木に寄り添い木と生活を共にしてきた

木地師の伝統と技術を受け継いだ地

木地師の里であり

妻籠宿の土産物屋さんでは

ヒノキや栗など様々な国産木材による

手作りのお箸をすすめられ

家族それぞれ真剣に選んで購入しました

まだ木地師の知識はなかったものの

木曽=山=熊
木曽=山=木
木曽=山=桧

くらいの知識はありましたからね

(笑)

古き良き日本のことを

何も知らない自分にビックリしながら

日々楽しく生きていますが

死ぬまでに追い付く気もしません

狭いようで広い日本は

未知の世界がいっぱいで

楽しみはまだまだ続き‥

木地師は

これから掘り下げたいテーマです