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シーボルトは

カノコユリを

『このユリに勝る
ユリは無い』と

称賛し

ヨーロッパの人々は

『東洋の幻』と

感嘆し

衝撃をもって迎えた





都市近郊の

里山や草原の
いたるところに

ユリが自生し

時には

農家の草屋根に
ユリの種子が飛び
芽生え花を咲かせる

そんな光景を目にした
外国の人々は

“日本は美しい花の咲く
ユリの宝庫”

として羨ましがり

憧れました





シーボルトが持ち帰った

その標本は

現在も

オランダ
ライデン大学

に、残されている

そうです





四国、九州
台湾、中国の一部

海岸や
渓谷の崖地

に咲く

鹿の子百合

“自生種”は‥

白地に

鹿の子絞り状の
紅色斑点があり

花は大きく
反り返ります

(写真一枚目)





カノコユリは

『環境省』の

“近い将来絶滅する
危険性が高い種”



“絶滅危惧1B類”

に、指定されていて

国立公園・国定公園内の
カノコユリを
採取するのは禁止
されています





(写真2枚目)


『内田鹿の子』
『内田』カノコ

昭和30年代

神奈川県厚木市の
3軒の農家が

“良株選抜”した

園芸品種
『内田』

耐病性、ウイルス共に
強く改良されていて

現在

『カノコユリ』

と、販売されているのは

この

園芸品種
『内田カノコ』

です





富山県

花球根組合の3人が

昭和33年

『鹿の子百合』の
栽培を開始

鹿の子百合は

ウイルス病や
腐敗病に弱く

なかなか
増殖するまでに至らず
伸び悩んだそうで

数年後

“球根組合長”が

神奈川県の知人から

百球の
『内田鹿の子』を
譲り受け

3人に渡され

耐病性や
ウイルス病に強い

とはいえ

苦労の末に

1人の

鱗片繁殖が成功した





と、いう話があります





(写真3枚目)は

1880年

出版された

『ユリ図譜』

銅版画手採色で

47種類のユリが
紹介されていて

中でも

日本の
原種ユリの描写は

圧巻

だそうです





この図は

趣味の園芸2008年6月号

小笠原誓氏
“ユリの世界”より





長野県小布施町で

モンブランケーキを
頂いたカフェに

この
カノコユリのポスターが
貼られていて

欲しくて
欲しくて

喉から手が出ました

(;_;)





写真4枚目

江戸時代に

日本のユリが
ヨーロッパなど世界に
紹介されると

日本から
ユリの球根の輸出が
始まりました

写真は

明治32年

発行

横浜植木株式会社の

海外向け
色彩図譜カタログ

当時

ユリの球根は

日本の有力な輸出品目で

1937年には

年間4千万球を

アメリカ
ヨーロッパなどに
輸出していたそうで

特に

テッポウユリ
カノコユリ
ヤマユリ



人気だったそうです