朝鮮人の警察官がいるということを、当時の日本は最大限に宣伝し植民地支配正当化のために利用しました | なおひろのブログ

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朝鮮の植民地支配において、警察官のかなりの部分が朝鮮人だったというのは事実です。

そこから、朝鮮人自身がこの植民地支配に協力していたから、植民地支配ができたのだ、また警察官になったという立場を利用して朝鮮人をいじめる朝鮮人警察官もいたし、植民地支配が悪いとしても悪いのは、日本人ではなく、そういう植民地支配に協力していた朝鮮人だという主張が出てきます。もしくは植民地支配に朝鮮人自身が協力していたのだから、植民地も悪くなかったという主張がありますが、どう考えたらいいのでしょうか。





これは当時の日本の武力、軍事力、すなわち軍隊を無視した主張です。

日本は当時、すでに日清戦争で清国に勝ち、日露戦争でロシアに勝った軍事力をもっていました。朝鮮人が警察官になっていたとしても、もてる軍事力はたかが知れています。

日本は1910年の韓国併合のとき以来、日本国内の二個師団を順番に韓国に駐屯させていました。そして1915年以後は19師団と20師団の二個師団の軍隊を韓国のソウルの龍山と平壌に常駐させ、韓国人の暴動、反乱を完全に鎮圧できる体制を整えていたのです。


日本側にとって怖いのは組織的かつ大規模な反乱ですが、出版の自由も、集会、結社の自由も完全に奪っていましたから、5人程度で話し合いをしていただけでも逮捕することができました。


つまり組織をつくったり、反乱の準備をする自由すらありませんでした。さらに植民地時代を通じて、10日間以内なら、日本人警察官は朝鮮人を自由に逮捕して拘置所にぶちこめる権利をもっていました。何の理由も必要なかったのです。

朝鮮人の警察官がピストルを携帯していたかどうかはっきりしませんが、もしもピストルを持っていたとして、ピストルで付近の日本人に発砲したとしても、すぐに取り押さえられて終わりになってしまいます。日本人のひとりふたりは殺せるかもしれないが、それで終わりです。しかもそれ以上に残虐な報復が自分だけでなく同胞の朝鮮人に向けてなされることを考えたら、うかつに行動できません。


たとえば1907年に韓国の軍隊が解散させられて、これに怒った韓国の元軍人たちが義兵となって、大規模な戦闘、義兵闘争になっていくわけですが、それも結局、無慈悲に弾圧されて終わりました。義兵がある村に逃げ込んだとなると、日本軍は、犯人掃討のために、その村のすべての家を焼き、すべての人を殺すようなことまでしていきます。(F・Aマッケンジーの記録に残っています。)

軍人が戦う武器をもって、全力で日本人に抵抗した結果でさえ、これで終わりだったのです。1907年から1915年ころまではそれでも韓国国内での義兵がときどき起きたといいますが、それ以後はほとんど起きなくなりました。

日本人を殺害するなどのテロ行為は結局、同胞である朝鮮人にさらなる苦痛をもたらすものでしかありませんし、結局、独立もできないのですから、自重すべきだという意見が朝鮮人の知識階級のなかでも大勢を占めるようになってきました。


また警察内の序列も必ず日本人警察官が上司であり朝鮮人警察官には権威がないのが一般的で(ちゃぬさんのブログでも分かるように階級が上になるほど日本人の割合が大きくなっています。)、少しでも昇進した朝鮮人警察官の周囲には必ず日本人警察官が配置され、朝鮮人警察官に勝手な動きをさせないように注視されていたのです。

また朝鮮人の中で不穏な動きを事前に察知しようと、そういう警察の中で情報提供させる朝鮮人を配置して警戒していたので、一人でテロはできたとしても、組織的に準備することは不可能でした。

だから朝鮮人が警察官になったとしても、抵抗できる状態ではなかったといえるのです。大日本帝国陸軍二個師団が駐屯している状態で、何ができるでしょうか。


当時の植民地時代の韓国で朝鮮人のつける職業は限られていましたし、産業もあまりなかったので、生活するために、または出世するために公務員になろうとした朝鮮人、実際に公務員になった朝鮮人は多かったのです。

さらに、生活するために公務員や警察官になるというのではなくて、公務員や警察官になることで、少しでも日本の権力構造の中に入り、朝鮮人の味方になって朝鮮人の利益のために働こう、もしくは朝鮮独立のために道を探そうと考えた朝鮮人は非常に多かったのです。そういう手記が残っています。


しかし実際になってみるとどんなに仕事ができても不当に差別されて日本人よりも少ない給料、低い役職に甘んじなければならなかったし、朝鮮人の側に利益をはかることがないように、反乱しないように常に監視されていたので、彼らの希望は果たせませんでした。そして周囲の朝鮮人からは、日本の権力の手先だとかげぐちをいわれるつらい立場だったのです。【 『植民地官僚の政治史―朝鮮・台湾総督府と帝国日本』岡本真希子 三元社】を参照してください。

そして彼らの存在、つまり朝鮮人の警察官がいるということを、当時の日本は最大限に宣伝し植民地支配正当化のために利用しました。実は反乱鎮圧のための軍隊を二個師団も常駐させながら、軍隊の話を抜きにして、警察に朝鮮人がいたという話を強調しているわけです。まるで朝鮮人自身が植民地支配を維持していたかのように主張するわけです。


それは、朝鮮が植民地から解放されて65年経った今でさえ、ちゃぬさんのブログのように利用されるわけです。

まるで拉致監禁を指揮しているのは、反対牧師なのに、実際に見張っているのは親だから、反対牧師は悪くないという主張と、どこか似ていると感じてしまいます。




http://s.ameblo.jp/hitosujiniiku/entry-11078096196.html