あまりにも量産型が多すぎて、どうすればいいのかわからなくなった。みんな真似ばかり、自分も呑み込まれるのではという恐怖もあった。
そもそも大学って、良いところに就職するために中学高校で真面目に授業受けてきたのか、みたいな人たちの集まるところだった。
自分で俺は周りとは違う、と思っていた。
周りと違うことをしてる方が充実に決まってると思ってそう信じてやってきたこの8年間くらい。本当に充実した日々を送れた。
真面目に授業も受けたことがない。その代わり、空いた時間で自分の好きなことをやる。
学校の成績は悪かった。大学入試で中学高校の成績は関係ないから気にすることもなかった。やりたいことができて不満は無かった。
そもそも、大学は4年間という自由な時間をどう効率よく扱うか考えなければならない。なにも考えて生きてこなかった人間にはかなり難しい場所でもあった。
量産型の奴らの生き方はほぼ決まっていたみたいなもん。難しい場所だとも気づかずに大学生活を終えるのだろうと思っていた。
文系は楽だと言われる。自由時間しかない。理系と比べて縛られない。そう思われている。
俺は思う、この自由時間をただの自由時間と捉える思考停止人間が多いから、文系の評価が低いのかもしれない。実際には自由時間が多すぎて、扱うのがかなり難しい。自由時間を娯楽の時間と捉えた瞬間には、その人たちの人生は粗末なものになりかねない。入学してこの自由時間に接した際、この難題が存在することを認識しなければならない。実に簡単そうなタイトル「如何に過ごすか」を。
さもないと思考停止して生きてきた人はこの難題を見落としてしまい、就職活動までのモラトリアムだと認識してしまうのだろう。
入学と同時に無題の難題を突きつけられた感じだ。
俺は後悔しないように、ひたすら思考をフル回転させて何かをして生きてきた。入学してもしっかりこの難題に応えることはできたと思う。
考えて行動するということは、結果が伴わなくとも後悔することはなかった。だからこそ、充実する生活を送ってこれたのだとおもう。
ただね、もう疲れた。
思考することがどれほど労力のいることか。
さっきも言ったように、後悔することはなかった。というのも、よく考えて行動してきたからだ。
でもね、思考することは如何に人生をよくするか、充実するかに拘りすぎてしまって、すごく疲れる。本当に。
今は何も考えずに量産型になりたい。普通になりたいと思うばかり。
思考停止してる人を散々侮蔑しときながら、羨ましくも思う。
結局人生って何が正しいとか無いのかな。後悔を恐れすぎたのかな。
病んでるわけではない、人生の目的について考えてしまう時期なのかもしれない。
