半年ぶりに婦人科主治医の診察。

今日は全然待たずにサクサク呼ばれました。
他の先生は120分の遅れですっと書いてありました😲

まずは問診。
具合はどうかと聞かれ、元気と答え、じゃあ内診。
内診室でエコー、触診、細胞診。
そしてまた問診。この細胞診の結果を聞きに2週間後とかなんとか先生が言ってるのが聞こえるのだけど、突然の目眩で声がです。。どうしたの?って言われたような。。。
そして看護師さんに横になりましょうと言われたのは聞こえたけど動けない。
先生がストレッチャーと言ってるのも聞こえていて。。低くしたストレッチャーにどうにか乗って。。。。
気付いたら、ここはどこ??
点滴とモニターがつけられているという。
すっかり元気に。
なんだかよくわからないけど血圧が下がっての脳貧血のような状態になったようです。元気になったと言ってもすぐには帰れず婦人科の主治医がみにきてくれて寝たままちょっと面談。先生もビックリした~~っと言ってました。スミマセン💦

その後救急外来の主治医が登場して血圧のチャックやら問診やらして帰宅の許可。
婦人科で具合が悪くなり、救急外来に運ばれていました。全然その移動は覚えていません。運ばれている時に気持ち悪いと言って少し吐いたと言われたけどそれも全く記憶にございません。

原因は不明だけど、気をつけなくっちゃいけないなぁ。。。
こんなことがあって次回細胞診の予約の日に脳神経内科を受診するように言われサクサク予約を入れられちゃいました💦

いったいどうしちゃったんだろう。
せっかくなので受診してきます。2週間後に。
介護申請をして1年が経ち、更新の面接?が5月に本人、ケアマネ、私と市の職員さんでありました。

確かに一年前とは全くの別人のように体が動くようになりました。
座っていることもできずトイレは気力で這っていく感じでしたが。。
今ではすっと立ち上がってスタスタと歩いていきます。
散歩もします(少しだけど)
買い物にも行きます(たまにだけど)
お酒も毎日飲みます(お水で薄めた焼酎だけど)


で、介護度が出ました!!

介護度4だった1年間。

7月からは介護度1まで下がりました。。。💦

デイサービスも減らさないと実費負担になるようです。
清潔が保てればデイサービスは減らしてもいいのですが。。
どういうことになるのでしょうか?
来週、今後のサービスの受け方について打合せします。

元気になったっと言うか、元気が戻ったっと思うべきでしょう。。。
6/7。
この日は痛がって痛がって大きな声出して暴れてしまった母。
6人部屋の真ん中のベットでずーっと唸っていました。
8時の面会終了時間が迫ってきた時に、
私に向かって看護婦さん孫をっと言うので子供達をベットのところに呼ぶと。。
帰りにお菓子でも買ってもらいなっと
500円づつ。
当時息子は年長、娘は3歳でした。
二人とも大喜び。
そして一緒に来ていた父にありがとうと言ってました。
そしてじゃあ面会終了時間だから帰ると伝えたら。。。


「私はもうダメだよ。じーちゃん(父)を頼むね。子供達(私の)あんまり怒らないで優しく見守ってやって。あっちに先に行くけどあんた達が来る時には入口で待ってるから。。。」っと痛くて唸っていた母がしっかり目を見て私に言いました。

私はビックリしちゃって声がかけられなかった。
でもそのあとすぐ、また看護婦さんと呼ばれて布団を下げてくれと言われおなかまでズラしました。
そのあと子供達が呼びに来たのでまた明日来るねと言って帰ってきました。

そして翌日朝4:30頃病院から電話。
「呼吸が止まってしまいました。すぐ来てください」っと。


入口で待ってるって。。。。。
あれが最期の会話。
私を看護婦さんに間違えていたのに。
あの時は正気だったんだよね。

じーちゃんは今日も元気にデイサービスへ。
子供達を優しく見守っていることができているか?

もう11年も経つけれど6/7っという日はあの病室の風景が鮮明に思い出されます。
続きです。

6/4。この日は日曜日で朝一で美容院へ。子供達はダンナが動物園へ。
母は5月に入ってから痛みが強くて夜が怖いと言っていましたが、近所に住む姉妹が毎日フルーツなどを持って遊びに来てくれて少しだけ笑うことで痛みを忘れることができていました。10年以上経つけど忘れません。

そして6/4。
父も家にいましたが朝9時頃近所の親戚が具合が悪くなり見に行ってそのまま救急車で病院へ付き添うっというハプニング。
11時頃私の携帯に母から電話。
自分も相当具合が悪くて日曜日だけど病院へ送ってほしいとSOS。
私はパーマの真っ最中。
ダンナは動物園。
父は他の人の付き添い。
っというタイミングの悪さ。

12:30頃実家に行くとちょうど父も帰ってきたところで母の不調に驚いていました。私も昨日までとは別人のような顔つきに驚きました。
痛みと便を出せない気持ち悪さでかなり参った様子。痛みをコントロールする薬もあまり効いていなく、なぜこんな時に美容院へ行っちゃったんだろうっと悔やみました。
そして病院に連絡して家を出発。
母はきっともう家に帰ってこれないことを知っていたと思う。
家を出るときに私にタンスの鍵を預けました。その中には大事な書類や印鑑が入っています。そして玄関の鍵と呼びの鍵も全部渡されました。
もちろん私はすぐに帰ってこれると思っていたので、ハイよっと預かったけど。。

病院へ行く前に郵便局と銀行に寄りたいというので一緒に行きましたが、郵便局の入り口の二段の階段が登れず諦め私が出金。
そのお金を持って銀行へ。銀行は段差がないので大丈夫っと言って車から降りたけど3歩ほど歩いたところで痛がって涙。結局車に戻して私が入金。
戻ってくると泣いてました。
もうなんにもできないって。。。。

病院について目の前にATM。
母に車椅子を用意してもらいATM操作するか聞いてみたけどもう気力がどこかへ。
たまたま居合わせた主治医も驚くほどの衰弱にすぐにベットを用意してくれました。

よく考えてみれば病院にATMって当然。
ここで入金をさせてあげればよかった。。
人生最後のお金の処理をちゃんとさせてあげたかった。40数年家事をやってきてくれた母の最後の仕事だった。。

毎年6月に入るこの時期に後悔したことを思い出す。

「厚いお肉が食べたい」っと言った母に
ちょっと高めの薄いお肉とサイコロステーキを焼いたこと。

あの時に食べられないとわかっていたから
食べられそうな柔らかい薄い肉と小さくカットされているサイコロステーキを焼いたけどとても残念そうな顔をして、
ナイフとフォークを使って食べたかったっと言われた。
母が食べなくてもステーキを焼いてあげればよかったっと毎年毎年後悔が蘇ってくる。

その次の日覚悟を決めて病院へ行くと言い出した。腫瘍が腸を塞いで便が通らなくって辛いと。
母が私の携帯にそう言って電話してきたのだけど、ちょうど美容院でパーマをかけていたところだったので少し待っててもらい
昼過ぎに病院へ。
実はこの日もひじょうに後悔していることがある。それはまた。。

結局病院へ行って全身状態が非常に悪いことが判明しそのまま入院。

もうすぐ命日。
この日は毎年ステーキを焼いて母を思い出しています。