今日は68回目の終戦記念日。

小さい頃に祖父から戦争は絶対にすることならんと言われて育ちました。
祖父は戦争でお兄さんを満州で亡くしました。

当時、祖父は国鉄の機関士として働き、ちょうど長崎へ原爆が投下された日に長崎へ向けて汽車を走らせていました。

奇跡的に戦火を逃れた祖父ですが、小さい頃にいつもいつもその話しを聞いていました。

そして、今私の実家は大刀洗という町にあります。

当時、大刀洗飛行場があった場所で戦時中は太刀洗陸軍飛行学校として、大東亜戦争末期には本土防衛の最前線基地としての役割を担っていました。

大刀洗陸軍飛行学校の分教場として開設されたのが、知覧飛行場で後の特攻隊の最前線基地となります。

今日という日は絶対に日本人が忘れてはならない日であるとともに、正しい歴史の教育もしないといけないと思います。

いかに戦後の教育が日本人を腑抜けにしたのか、ねつ造された歴史など、自分なりにですが当時の勉強をすると間抜けなわたしでも分かります。

以前、知覧特攻平和会館に行った時の事を思い出します。

特攻隊の人達の写真と氏名、遺書等が壁面を覆っていました。

展示品のほとんどがそういう類いのものと、軍服や戦闘機のレプリカ等。

ここに行って感じた事は、いまの時代でいう高校生、大学生、就職活動をしている青年達が、この時代は戦地に行くために集められた特攻青年であり、時代が違うからといっても、命を懸けるとはまさにこのこと。

自分だったらと考えても答えは出てきません…  

遺書を見ると、かなり達筆で読めないものもありましたが、とても綺麗な字で本当の美しい日本語を、まだ若い10代の方達が書いているのには驚きました。

この当時の教育、家族や先祖への尊厳、自尊心、今の時代忘れかけている大切なものがここにはある気がしました。

読める遺書は読んでみましたが、そこには両親への感謝の言葉だらけ。

親孝行は出来なかったが、国の為に行ってきます、泣かないで下さいとか、後を頼むとか、自分達は死んでしまう覚悟で向かうのに、これほど家族や親類の事を思うのは、今の若者達がこれを読んだらどういう感覚に陥るんでしょうか。

彼らは日本の未来のために、命を懸けて飛び立った訳です。

自分達の家族を自分の命に代えて守ったからこそ、そのおかげで、今の私達が生きているということなんだと考えさせられました。

私は右だとか、左だとか、そういった事はよく分かりません。

靖国に参拝に行くと、戦争を肯定するみたいな揶揄がありますが、それは違うと断じて思いました。

戦争は絶対にダメです。

彼らだって、本当は死にたかったはずがありません。

その状況下で、人の為、国の為に自分が役に立てるのならというまさに・・・

私達はその命を紡いでいるのですから、この世に生を受けたのなら、せめてもの親孝行、余の為人の為に、何か役に立てられる事を、お互いが出来る事をしていけば、美しい日本らしい思いやりのある社会になるのではないでしょうか。

特攻平和会館で手紙を読ませてもらうと、胸が苦しくて、涙が止まりませんでした。

この感情はとうてい活字で伝える事はできないんじゃないかなと思いましたが・・・

ただ、ここで感じたこの感情は正しいものだと確信してます。

私のような若輩者が大変なご無礼を申しわけございません。