Trick or treat, smell my feet, give me something good to eat! I witch you a Happy Halloween🎃
はい!
というわけで、皆さま、、
はっぴーはろうぃん(*≧∀≦*)
🎃
最近、ブログが進まず、この日を迎えてしまったので、、
思い切って、今日はハロウィンらしい記事にします( ^ω^ )
ハロウィンと言えば!!!!
ドラキュラ🦇
キャーーーーー◥(ฅ`₩´ฅ)◤
ボーダレストラベラー梨乃ちゃんは、ドラキュラ城に来ています◥(ฅº(ェ)ºฅ)◤
そうなんです(´⊙ω⊙`)
ドラキュラ城は、実在しているんです♪
ドラキュラが、女性の首に、噛み付いているのがわかりますね((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル
この丘の上にあるお城がドラキュラ城です🏰
この丘を登って、入場料25ルーマニアレウ(800円撮影料込み)を払うと、お城の中を見学できます。
ルーマニアは、物価も安くて旅しやすくてお気に入りです( ^ω^ )
ドラキュラ城といっても、ドラキュラのモデルになった人が住んでいたお家ですが(*´-`)
アイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』に登場する吸血鬼ドラキュラ伯爵のモデルになった方の、本当の、、、、
君の名は?
ヴラド・ツェペシュ
◥(ฅ`₩´ฅ)◤
この「ツェペシュ」はルーマニア語で"串刺しにする者"を意味しており、まさに彼の人生はその名のとおりとなりました。
ヴラドと言えば"串刺し刑"というくらい有名になり、串刺し公と呼ばれる程の残虐性で国を納めたという逸話があるそうです。((((;゚Д゚)))))))
この、ヴラド3世は、
父・ヴラド2世の子で、父は神聖ローマ皇帝から「竜騎士」の称号を授かっており、通称「ドラクル」と呼ばれていました。ドラキュラという名称はここから来ています。
(現地の言葉で"a"を語尾に付けることで「~の子」という意味なので、ドラクル公の息子だからDracula=ドラキュラ公と呼ばれたとも言われています🦇)
ヴラドが生きていた時には「串刺し公=ツェペシュ」よりも「ドラキュラ」というニックネームの方が多く使われていたのではないかと言われています。
ヴラド3世は、歴史上の人物の中でも、残虐な人物として有名です。
身長も191cmもあったそうですよ(´⊙ω⊙`)
例えば、ヴラドの反逆者の処刑方法ですが、裸にして生きたまま内臓が見えるまで皮や肉を剥がされ、殺したり。。
ある者は真っ赤に燃える炭火の上であぶり焼きにして殺されたそうです。。
また頭や胸、お尻、あるいは腹の真ん中など、場所を問わず体中を串刺しにされた者や、、垂直に立てた杭に肛門から口まで飛び出すほど突き刺された者などもいたそうです。。
((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル
ヴラドは残酷な処刑をワインを飲み、肉を食べ、血みどろの光景を楽しんでいたと言われています。
ドラキュラ城の中にも、それを物語る道具がいくつも残っていました。
((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル
そんな、ヴラド3世の最後ですが、、
1476年、ヴラドはブカレスト(ルーマニアの現在の首都)郊外の戦場にいました。
戦況が思わしくなくなったので、敵であるトルコ兵に化けていたそうです。
おそらく敵を欺くための策略だったのでしょうが、自分の部下たちに発見されると、当然敵兵だと思われ、よってたかって襲いかかられ、あっという間に容赦なく突き刺されてしまいました。
何百人もの部下や敵をあっさりと殺してきた君主は、多勢に無勢、なすすべもなく屍と化し、戦場に倒れたのです。
皮肉なことに、自分が無残に処刑してきた人間達とそっくりな死に様をさらすことになったのでした。
そんなドラキュラ伝説が残るルーマニア
ミステリアスで、とても魅力的な国の続編も乞うご期待(*´∀`*)