これはお友達のYちゃんの友人の日記を 許可を得てコピペさせてもらったものです。
Yちゃんは去年私が北海道の美瑛に行った時に
以前美瑛のペンションで働いていたと教えてくれました。
その時に一緒だったバイト仲間のお友達が
今はそのペンションの経営者だそうです。
そんな彼女が貴重な体験を日記に載せてくれたので
是非みんなにも読んでほしいと思いました!!
決して人事でなく、忘れてはいけないことだから
『私が号泣したわけ』
「今の時代にまさか自分がこんな暮らしをすることになるとは思いもしませんでした」
生の声はズシンと私の心に響きました・・・
あの地震から2か月・・・
実は一昨日から2泊で、美瑛町のペンション経営者が主催のボランティア計画があり、
我らが芋たらも、それに参加していたのです
「びえいちょこっと旅プレゼント」
HP
http://bieinakama7.web.fc2.com/
ブログ
http://bieinakama7.blog31.fc2.com/
芋たらで数年前に一緒に働いたヘルパーの女の子が津波被害の大きかった岩手県大船渡市の子で、
私にとっては家族同然のような子だったので
地震直後から何か彼女のためにできることはないか・・・などと考えていたものの
実際に行動に起こせることは少なくて、
結局できた支援は「岩手県へ募金」というありきたりなものでした
(私は東北の人たちに、といったでっかいレベルよりもその時は彼女や彼女の家族たちを最優先になんとかしてあげたかったのであります)
時は経ち・・・
私の心にも余裕もでき、やっと「被災者ため」というレベルで物事を考えるようになってきた頃、こういう企画が同じペンション経営者から立ち上がったのであります
(詳しくは先ほどのHPなどをクリック)
もちろん、受け入れたわけですよ
今回受け入れたのは4名1室
最初その4名の部屋割りで名前が送られてきたときに
男性1人と他女性3名(これは家族)の苗字が違うことにすぐ気付きました
これはどういう組み合わせだ?
1室でいいということは、親戚か?
それとも避難所で男性とお母さんは恋人関係でもなったからこういう組み合わせなのか?
などなどと勝手に思いを張り巡らせておりました
で、一昨日、役場にお迎えに行って、実際被災者の方々とお会いして
挨拶もそこそこ。宿へ連れて帰りながら思い切って聞いてみることにしました。
・・・というのも、その日は空室があったため、
別に4名1室じゃなくても大丈夫になったからなのです
でも、どういう分け方をしたらいいのかが分からなかった私・・・
「あの~、もしよろしかったら部屋を別々にすることもできますよ。
例えば、お子様と別々とか・・・・」
と、恐る恐る提案をしてみた
そしたらそれまで疲れていたのか返事もろくにしないぐらいだったのに
おかあさんが
「お子様と別々は困ります~~~~!!!」
と大きな声を出しました
その人たちは、避難所でずっと隣同士で生活していて
もう家族同然になってるから同じ部屋でも全然かまわないということだったのであります。
勝手に親戚、はたまた恋人?などど勘違いしていた私・・・
浅はかでございました・・・・・
穴があったら入りたかった・・・・
避難所で隣同士ということはもちろん壁があるわけでも仕切りがあるわけでもなく、
本当にすぐ隣同士でもう2か月近く一緒に寝起きしているわけです
確かに別に今更同じ部屋で寝ても構わないだろうな~
だけど、二人っきりにされると困る、とおかあさん
そりゃそうでしょう・・・(笑)ごめんなさい!
そんなわけで、男性1人と女性家族3人と別々の部屋で寝てもらいました
しかし、この女性家族のお父さん、
そして、男性のご家族はどうしたんだろう・・・
亡くなってしまったのかもしれないし、それは・・・
やはり。聞けなかったです
初日の夜はみなさん疲れもあっただろうし、
少し緊張してるように見えました
表情もあまり冴えないし、口数も少ない。
私は私で、「被災者の対応マニュアル」なるものなどを渡されて
それを読んでいたために必要以上に頭で考えてしまって
何を言ったら失礼になるだろう・・・
なんか傷つくことを言ってしまわないだろうか・・・
励ましたほうがいいんだろうか・・・
でも、なんて言ったらいいんだろう・・・・
などなど、そんなことで頭がいっぱいで妙に距離をとってしまいました
そうして初日は終わり
昨日の朝に会った時
妙に4人の表情が明るいように見えました
「ゆっくり眠れましたか?」と聞くと
「えぇ、実は地震以来初めて布団で寝たんです!」
避難所では今もなお体育館に毛布1枚敷いてるだけで寝る状態が続いてるのだそう。
しかも最近はだんだんと暑い日が多くなってきたから毛布では暑くて寝苦しいらしいのです
あの痛い床の上にたった1枚の毛布だけ
それが2か月・・・
それは被災者にしかわからない苦しみで、私は想像することしか出来ないのです
それなのに、そういう状況を想像すると涙が出る
想像しているだけで、それしかないのに勝手に同情して涙が出るのも悪い気がするけど涙が出るのです
テレビもない、布団もない、お風呂もない、
そんな生活がもう2か月も続くというのはいったいどれだけの苦痛なのでしょうか
それなのに、今、目の前にいる4人はつかの間のこの時間を笑顔で楽しんでいる
それはその人たちにとってどういう想いがあるのでしょうか
そして私が作った朝ごはんを残すことなく食べて「おいしい!おいしい!」と褒めてくれる
この人たちはこういう食事も普段は食べられないのです
ただのサンドウィッチとサラダとジャガイモとフルーツとヨーグルト
そんなに珍しいものではないのに「こんなに美味しいものは食べたことない!」なんて言葉まで出てくる
感激してくれて、
その日はボランティアさんに連れられてここらへんの観光へ出かけていきました
帰ってきたら、とても幸せそうな、とても満足そうな顔をして戻ってきました
最終日の今日、昨日よりも
また表情が一段と明るいように見えました
昨日と同じように朝ごはんをいっぱい食べてもらって
早々に今日の目的地へ出かけていきました
お別れの時「また家族で来ますから!」と手を振りながら。
今日は私もそのあとまた被災者の皆さんと合流してバター作りなどの体験やお昼ご飯のお手伝いをしました
そこで初めて今回、この旅行に参加された総勢60名の方々とお会いしました
みなさん明るい表情でこの旅を楽しんでいる
いや、楽しまなくてはもったいない!といった感じでしょうか
口々に私が何かを運ぶたびにみんな「ありがとう」と丁寧に言ってくれるのです
普段なら誰かが何かを運んできてもそんなに挨拶をしてくれる人はいないのに、みなさん感謝の気持ちがあふれている、
何かお返ししたいけど、
今は何もないからとにかく「ありがとう」という言葉だけは忘れないで伝えよう。
そういった気持ちが溢れる笑顔を私に向けてくれるのです
一つひとつ丁寧に時間を慈しんでいる
今、この時しかないのだから、
せっかく助かった命なのだから、亡くなった人の分、そして避難所に残っている人たちの分まで私たちが楽しもう
それをお土産にしよう
みんなの気持ちは1つになっていたと思います
昼ご飯は今回芋たらに泊まってくれた4名と一緒に食べました
そこで、ポツリポツリとあの時の状況を語ってくれました
なんと女性3人家族は津波に一回流されたんだそうです!!
あの時、仕事場にいたおかあさん
地震が来て、
家族は家にいたから心配で一度、
家が近所の同僚と一緒にお互いの家に様子を見に戻ったそうです
最初はおかあさんの家。
そこで、娘さん2人を車に乗せて、次に同僚の家へ向かいました
同僚を車から降ろして、同僚の家のすぐそばに車を停めて待っていました
その時に津波が襲ってきたそうです
おかあさんたちは車ごと流されました
そして、無我夢中で水から顔を出した時に目の前に大きなコンテナがあったんだそうです
3人は自力でそのコンテナに這い上がりました
そして周りをみると、車や家や人がいっぱい流されている
それは現実の世界が非現実の世界ににしか思えない状況
流される人たちを見ても「なんとか助けたい」よりも「(自分で)頑張って」としかその時は思えなかったそうです
手を差し伸べる余裕もない、考えることができない、自分はいったい今何をしているのだろう
同僚が様子を見に行った家は、もう波にさらわれてしまった
彼女はどこへ行ってしまったのだろう
そんな中第一波が引いていき、その間に走って高台まで逃げたんだそう
そして、また第二波がやってきて・・・・
なんとか命だけは持って、今いる避難所へ逃げてきた
「娘たちがもう自分で自分のことをなんとかできる大人だったから今回助かったけど、これが子供だったら私は助けれなかったと思います」
「たった何分かの運命の別れ道でした」
そんなあの日だったんだそう
「今の時代にまさか自分がこんな生活をすることになるとは思いもしませんでした」
そうお母さんは言って泣いてました
「テレビで映っているのは映してもいいところだけ。現実はもっと悲惨だよ」
これは男性の言葉
地震の次の日、情報が一切遮断された被災者は
自分たちが被災者だということもよくわからないまま
様子を見に外に出た人もいたそうです
そんな人たちの目にはたくさんの瓦礫の山とたくさんの死体をそこら中にごろごろしている光景が映りました
そんなの、そんな現実って実際今までありえない現実じゃないですか
まさか自分がその中をこれから生きなければならないなんて
想定しながら生きてる人、いないじゃないですか
そんな現実にいきなり放り込まれた被災者
帰る家もない、財産もない、仕事もない
そんな現実、受け入れられないのは当たり前です
それでも、今、目の前にいる人は、
そんな現実から少しだけ逃げてここへ来てくれた人たち
私は我慢できずにまたボロボロと涙を出してました
「美瑛の人たちは本当に親切。なんとかして楽しんでもらおうと頑張ってるのが伝わってくるよ。避難所のお世話してくれてる自衛隊も北海道の自衛隊だし、本当に北海道にはお世話になってるのよ。ありがとうね」
そういっておかあさんもまた泣いてました
私はいつもやっていることをいつも通りしただけで。
少しでもリラックスできたらいいな、ってただそれだけで。
お母さんはリラックス+感激までしてくれている
「美瑛の写真を現像したら飾っておこうねって娘と話してたのよ。
それ見たら、それだけで気持ちが雄大になれるねって」
この3日間美瑛は最高の天気でした
ずっと大雪山や十勝岳がはっきりと見えて、
まさに青い空、白い雲、果てしない大地、雄大な山々といったTHE北海道といった景色が見れてました
私たちがやったことではなく
きっと自然が一番のプレゼントだったと思います
天気に恵まれて本当に良かった
本当のお別れのとき
みなさん泣いてました
いろんな気持ちがいっぱいつまったみんなの涙でした
今、彼らは船に乗ってまた現実の世界へ戻ってます
自分たちの生活をめちゃくちゃにした海のうえを帰ってます
避難所に戻った時にどんな風に感じるか
それは被災者にしかわかりません
私は今回、実際の被災者と話すことができて、
いろいろと衝撃を受けたり考えることがありました
やはり軽い気持ちで現地へ入ってボランティアはできない
行くならちゃんと考えて覚悟をして行かなければきっと自分がその雰囲気などに呑まれてしまう
大船渡の友達のところへ様子と何か手伝いをしに、
もう少ししたら行ってみたいけど
キチンとその時は自分なりに考えたうえで行動に移したいと思います
今回旅に参加された皆様が少しでも元気が出て
一瞬の幻だったとしても、その幻で怖い夢ではなく優しい夢をみることがで
きたらいいな
来てくれてありがとう、石巻市のみなさん
どうか、せっかく助かった命だから体に気を付けて生きていてください