母は自分には延命は絶対にやめてくれ、って度々言います。

 

特に胃瘻とか経鼻経管栄養とかは絶対に嫌だ、と。

 

父のような姿になって生きていたくないと。

 

それを言われるたび

私は父に対してとても酷いことをしているようで辛くなります。

 

実際、今の父を見て

こうなりたい、と思う人はいないでしょう。

私だって嫌です。

 

でも徐々に少しずつ変化してこうなっただけなんです。

変化の度合いがゆっくりというか。

 

教科書的には

もうとっくに栄養を吸収できなくなって

嘔吐や下痢を繰り返し

点滴で水分補給だけになって

それも吸収できずむくみが出て

水分量を減らし

皮下点滴になり

枯れてゆく。

 

あるいは肝臓や腎臓の機能が低下して

心臓が弱って

枯れてゆく。

 

そうなるはずだったんです。

 

その途中で

人為的に補給を停止する、ってできませんよ。

 

一時は意思の疎通が難しかったけれど

今は会話ができる日もあるんですもん。

 

野球中継を楽しそうに見るんですもん。

笑顔を見せてくれるんですもん。

 

 

母は酸素マスクも断るつもりでしょうか?

水分点滴も?

 

 

もし、母が認知症なら

ちょっと疲れたわあ、くらいの感覚で

ベッド上で過ごす時間が長くなり

歩けなくなり

食も進まなくなり

枯れるように命が消えていくのかもしれませんが

なかなかそうはいきません。

 

認知症もある意味、恵みですね。

 

認知症では無いからこそ

母は怯えているのでしょう。

人に迷惑をかけることと

命がなくなること

その過程での苦しみについて。

 

不安を和らげるための薬を頼んでみましたが

転倒の危険があるから、と出してもらえませんでした。

 

母は頻回にトイレに行きますし

それを24時間フォローするのは難しいです。

 

いっそのこと転倒して骨折でもすれば

本人も楽になるかも、とさえ思いますが

転倒しないよう非常に慎重でもあります。

 

もう少し元気になって

もう少し生きていたい

それが本音かな。

 

 

老いてゆくことは

枯れてゆくことは

とても辛く難しいことのようです。

 

伴走する方も悩み多く辛い日々です。