⑧病院の検討
----------------------出生前診断、命の選択についてのお話の内容が含まれています。あくまでも体験談の一つとしてお読みいただければ幸いです。もう迷っている時間はない。時間が経てば経つほど恐ろしかった。12週未満は麻酔をしている間にすべてを終えることができるが、12週を超えていると、分娩で出産することになる。人工的に陣痛を起こして産むことは母体には身体的な苦痛だけでなく、精神的にも相当な苦痛を伴う。絶対的に麻酔をしてほしい。初産で陣痛の痛さもわからないのに、こんな悲しい決断でそんな苦痛を味わうなんて…なんて残酷なんだろう。でも一番かわいそうなのは、赤ちゃん、それはよく分かっている。耐えなければいけないんだ。ネットで手術をしてくれるとこが出てくるが、ほとんど候補な病院がない。広告を出しているとこも怪しいような気もする。こんな大事な手術をネットの情報だけで決めていいのか。大阪のクリニックからの紹介の連絡がまだない。いつになるかもわからないし、麻酔を使うことに賛成ではなかったので、そういう病院は紹介してくれないだろう。自分たちでも探すしかない。二つ候補があった。①15週まで麻酔の間の手術で終えてくれるところ。大阪の先生にはそういう病院は怪しいと言われているので、半信半疑。もう一つは、②分娩形式ではあるが最初から最後まで麻酔を使用してくれるところ。まずは、 ②の方に向かうことにした。予約を取り、彼の運転で向かった。と思ったら、初めての道なこともあり、ナビを見ても混乱したため、高速を間違えて降りてしまい、また乗ったと思ったら全くの逆方向に向かい、30分以上ロスタイムができて、時間内に間に合いそうになかった。私は「もういいよ、ここの病院は、遠いし。この子、もしかして運が強いのかも。(産んでほしいと言っている)」旦那さん、黙る・・・私が産む方向に話を持っていくと黙ってしまう。それでも、私だって不安、揺れ動く気持ちのまま日にちだけ過ぎていくのも怖い・・・だからこう提案した。「今まで通っていた産婦人科の先生、もう紹介しませんよって言ってたけど、きっと紹介してくれるかも。もう一度お願いしてみよう」自分たちだけで病院を見つけるのは怖かった、自信がない。やはり紹介してもらわないと危険な気がしてしかたなかった。産婦人科に電話を掛けた。「今までお世話になっていた〇〇です。大阪のクリニックの絨毛検査でやはり陽性と確定となりました。大変申し訳ないのですが、手術のできる病院を紹介してもらうことはできないでしょうか?」藁にもすがる思いで、電話を掛けた。受付の女性は、先生に聞いてみます、30分後にもう一度お電話ください。と言って電話を切った。先ほど行こうとしていたところはもう気が進まない…散歩がしたい。車を停めて私は散歩した。彼はその間もう一つの候補①の場所に電話をかけ診察を予約した。いつも歩いていた道、妊娠してから感染症も怖くほとんど外出はしなかった。そんな道を歩いている私は数か月前とは全く違う自分として歩いている。同じ景色に見えるようで見えない。これからそういう人生になるんだ。散歩を終えて、車に戻りその中でドキドキしながら産婦人科に電話をかけた。「大変申し訳ございません、前にもお伝えした通り、もう病院の紹介はできませんとのことでした。」妊婦検診を受けていたのに…それでもだめですか。羊水検査まで待てない母親なんて最低だ、勝手にしてくれ。ということなんだ。この決断は自分がしたこと、助けをもとめてはいけない。とりあえず探さなきゃ。そして、予約が取れた候補①の病院にたどり着いた。ちょっと田舎な病院というイメージだろうか…あまり安心感のある雰囲気ではない。でも、院長先生に会ってそのイメージは変わった。かなりの手術をこなしているらしい、毎日午前中はその手術だと。先生は迷っている母親をたくさん相手にしてきたんだろう、話し方をゆっくりだし、丁寧に説明してくれる。先生がおっしゃっていたのは、・前に勤めていた病院でも12週を過ぎた手術は頻繁に行われていた、今ではこういう病院は数少ない・12週以降は日帰り手術はできないとほとんどの病院が言っているが、それは技術がないだけ・実は、日本でも15週目までは麻酔中の手術で終わらせることができる・でも実習で行ってきた12週未満の患者しかやりたがらない、経験がない医師がほとんど・私は自分が自信をもってできると考えている15週前半の患者さんなら日帰り手術を行っている・術後に妊娠しづらくなったなど、トラブルは一切ない・分娩の中期中絶は、ほとんど拷問のようなもの。陣痛を起こす週数でないのに、無理やり起こすのは、僕は臨月の時の陣痛より痛いと思うよ。だから僕は中期中絶でも絶対に麻酔は使っている。・麻酔を打つって病院からしたら面倒なんです、そもそも日本は無痛分娩で麻酔を使用している産婦人科が5%程度しかない。そんな中で、中絶に麻酔を使うなんてことができる産婦人科なんてほとんどないんですよ。先生の言っていることはほとんど理解できたし、納得できた。この先生に頼めば、私は日帰りで終わらせることができるし、麻酔中に手術をしてもらえる。「ただし、赤ちゃんがこの時期にしては大きいから、今週末までには決めたほうがいい。」と言われた。そう前から言われている、私の赤ちゃんは、通常より成長が早いらしい、というか頭が大きいらしい。これもダウン症の特徴だとネットで見た。先生は、私の質問も遮ることなく、黙って私が納得して自分から部屋を出るまで話を聞いてくれた。他の患者さんが待っていても15分ほど、予定より長く話してしまっていたらしい。ただ、どうしても気になることがあった。それは、日帰り手術で簡単に終わってしまうこと。そして、赤ちゃんは引き取ることなく、病院側が火葬場に行き、永代供養をするということだった。いやだ、そんな。他の赤ちゃんと一緒に火葬場に行って、どこかのお寺で勝手に供養されるなんて…だめだ。それはできない。ここはおそらく望まない妊娠をしている子が来ることが多く、わざわざ連れて帰りたいなんて人はほとんどいないのだと思う。そういう方には確かに、とてもありがたいのだろうと思った。でも、だめ、私にはできない。少し苦しい思いをしたってこの子を自分の手で連れて帰ってさようならをしなくてはいけない。病院を出て彼に話した、ここの先生は信用できそう。でも、やっぱり大阪のクリニックからの紹介も待ってみよう。そこで決めるよ。車中は無言のまま、私はただひたすら涙を流しながらこの状況を整理しようと必死だった。本当にもう産めないのかな。。家に帰ってからもまた平行線な会話が続く。私には大体答えが見えていたのに、簡単にその決断を下す勇気がなかった。どちらをとっても引き返せない。決断力のある私はやはりこう思った、「人生、楽になることなんてない。試練はどんどんやってくるんだ。乗り越えなきゃいけない。でもこれを乗り越えるというのは、産むということでしょ。じゃ産まないという選択肢をしてしまったら、それは乗り越えるということにはならないのだろうか。」誰も教えてはくれない、私が結局は決めることなんだ。不思議と夜は眠れるようになった、食欲はまだ全く戻らない。しかし、この不安な夜もあと数日、赤ちゃんと過ごせるのもあと数日ということを私はまだ知らない。