内容が多岐にわたっているので、3回にわけて載せます^^


■この『悲愴』交響曲は、先の中国四川大地震によって悲しくも犠牲になった方々への追悼・・・

5月16日の東京サントリーホールでおこなわれた小澤征爾指揮新日本フィル特別演奏会でのチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』は、きっとそうであったのだろう。


第1楽章冒頭のコントラバスとファゴットの低音は、中国を襲った未曾有の大震災後の惨状(人は誰もいなくなり建物も崩れ落ちた不気味な街の静けさ・・)を連想させられた。

ここを聴いた瞬間、小澤さんの想いがつたわった。

この演奏は、小澤さんの四川大地震に対する追悼の意・ふかい悲しみ・向けようのない怒り・もどしさ・憂い・・などなど、胸につまっている想いのすべての表れ。
中国奉天生まれの小澤さんは中国を第二の故郷と考えているからきっとそうに違いない、と。

小澤征爾という人はそういう人なのだ。
音楽をやっていくうえで、社会との繫がりを密接に捉えているので、どうしても社会の出来事に対する彼の思考が演奏に反映する(もっとも芸術家はそうでなくてはいけない。社会とかけ離れた芸術作品は意味がないと僕は考えているから。)

金管郡によるファンファーレはこれからとんでもない出来事が起きるというお告げのラッパに聴こえた。
中間部の展開部での激しさも尋常でない(新日フィルの重厚な響き!)。
しかしそこはさすがにコントロールが効いていて、各楽器のパートへのバトンタッチは小澤流でスムーズ。

それにしても、小澤さんはこの演奏では1回も表情を緩めることはなかった。

第3楽章のマーチ風のスケルツォではいくぶん楽しげに指揮してもよさそうなものだが、厳しい表情のまんま。

終楽章のアダージョでは思いのすべてが噴出したかのよう。
数ヶ月前に指揮したベルリン・フィルとの同曲のときよりも、突進力が激しい。
僕はオケ後方のPブロックに座っていたので、表情のすべてが見えたが、表情が見えない席に座っている人もそのただならぬ雰囲気は感じとってしたのだろう。

終楽章の最後の1音のコントラバスの響きが消え去っても、2000人の聴衆は静まり返っていた。
即拍手&ブラヴォーなどは、到底できない雰囲気だ。
ほどなくして小澤さんがふっと力を抜いて表情をやわらかくしてからようやく拍手が起きはじめた。
それでも僕はしばらく身動きできず拍手ができなかった。
あまりにも悲劇色の濃い『悲愴』。
心の芯からの感動というか、うまく言葉ではいえないがとても熱い感情に満たされていた。


小澤さんの演奏は大学1年のときから今まで22年間聴いてきているが、こういう特別な雰囲気の演奏というのは数回しか記憶がない。

1回は32数年ぶり(だったかな?)にN響をふったときのとこ。
会場は同じくここサントリーホールで、スラヴァ(ロストロポーヴィッチ)とのドヴォルザークのチェコ協奏曲とバルトークのオケコン。
思えばこのときも阪神淡路大震災の直後だった。
スラヴァがバッハの無伴奏チェロソナタのサラヴァンドを弾いていた。その隣で指揮台に腰をおろした小澤さんがじっくりとその演奏に聴きいっていた。
あのときも特別な雰囲気ですごい気迫に満ちたコンサートだったことを記憶している。


それにしても小澤さんがいまだに日本のクラシック音楽界を先頭に立って引っ張っている存在だということを考えると、あらためてすごい人だと思う。

しかも昨日のような演奏を見せられてしまうと、当分その座は変わらないだろうと確信した。


つづく・・