2028年3月11日、15年前のあの日を忘れることはできません。 夜勤の準備中、今までにない長い揺れを感じる地震が発生しました。尋常ではないと感じながらも出勤のため交通情報を得ようとしましたが、まず停電に気づきました。当時の携帯電話はネットも電話も繋がらず、この時はまだすぐに復旧するだろうと安易に考えていました。
仕方なく、何らかの交通手段があるだろうと外に出たのですが、そこで異変に気づきます。駅へ向かう途中、バスや電車が動いていないと知らされました。
一旦家に戻り、バイクか車での移動を検討しましたが、車の渋滞を避けバイクを選びました。しかし市街地へ出ると、大渋滞で全く身動きが取れません。信号も消え、あたりは徐々に暗くなり、明かりは一切ありませんでした。
やがて真っ暗な中、車の列は動かず、まるで花火大会後の人混みのように人々が蠢いていました。後にそれは帰宅困難者の行列だと知ります。
バイクを少しずつ動かすたびに、人々が「乗せてほしい」と頼んできました。二人乗りはできますがヘルメットがないため無理だと伝え、断り続けました。多くが、子供や家族が取り残されているとのことでした。タクシーやバスも動かず、どうすることもできない状況です。気の毒に思いましたが、私には協力できませんでした。バイクならすり抜けられそうに見えても、すり抜けられる状況ではなく、さらに寒さが身にしみました。
出勤か帰宅かの選択を迫られ、結局家に戻りました。しかし、家も停電しており、その中で情報収集をするのがやっとでした。初めて見る真っ暗な街、道路、そしてゾンビの群れのようにも見える果てしなく続く帰宅困難者の列。彼らは歩き疲れて、話す気力も失っているようでした。
このような恐ろしい状況は、朝になっても解決することはありませんでした。
東日本大震災は、決して忘れることのない記憶として刻まれました。将来、直接被災する可能性もあります。この震災の教訓を忘れず、毎年この日には周囲と準備や情報を共有しています。