お陰さんで
かつての大阪人は、「儲かりまっか」と挨拶されると「ぼちぼちでんな」と応じる前に、
「お陰さんで」と言っていたといいます。
「お陰さんで、ぼちぼち商売をやらせてもらっています」と
この [お蔭さんで]というのは、お客様のお陰、 世間のみなさんのお陰、
天地神仏のお陰といった、たくさんの意味をもった お陰です。
本来的には 幕末に流行った 伊勢神宮への 「お陰参り」 からきています。
天地神仏の恵みに感謝するという意味で お参りするのが 「お陰参り」ですから、
「お陰さまで」 という言葉の背景には、たんに現実的な人間関係だけでなく、
非常に深い、神仏への感謝、あめつちを はじめとする自然への感謝、
先祖への感謝が全部入ってる 非常に奥の深い言葉なのです。
日本人全体がもういちど思い返してもらいたい、 いい言葉だと思うのです。
「他力」にも通じると 思うのです
我一人の力にあらずで、天の恵み、地の恵み、人の恩。。。
いろいろなもののお陰で ここまで歩いてこれたのだから。
そういう深い思いのこもった言葉だと思うのです。
見えない世界
見えない世界
[気」は見えないけど 存在する
家族愛 男女の 「愛」 これも 目に見えないけど 感じることが出来る
私たちの日常には、「気」 という文字の付く単語が たくさんあるよね
日常で 何気なしに使われている それが
われわれ日本人の生活の中に 存在していることの 証拠なんじゃないかな
あげれば いくらでも出てくるよね
気分 元気 気合 気質 気絶 気配 浮気 気象 短気
気が合う 気を使う 雰囲気 空気 霊気 などなど
感じることが 出来るよね
素直な人の方が 気が よくながれているという
心が自由で オープンな人
「おのずから しからしむる」力 生命エネルギー
気という考えが 江戸時代には 明確にあったらしい
貝原益軒の 「養生訓」
「人の元気は、もと是、天地の万物を生ずる気なり。是、人身の根本なり」
お仕事 もう一息 がんばってくださいね
人生
古代インドでは 人生を 四つの時期に 分けて考えたという。
季節の移り変わりは 春 夏 秋 冬。
方位は 東 西 南 北。
物事の進み具合は 起 承 転 結。
四分法 いかにも自然な区切りだと思う。
四住期 これは 人生を 四つの時期に 区切って
それぞれの生き方を しさする 興味ぶかい 思想だと思う。
それぞれが二十五年を 単位とする
25歳まで 学生期 (がくしょうき) 青少年時代 心身を鍛え 学習し 体験を
(青春) 積む。
50歳まで 家住期 (かじゆうき) 社会人の時期 就職し 結婚し 家庭を作り
(朱夏) 子供を育てる。
75歳まで 林住期 (りんじゅうき) 自分の人生の黄金期として開花させることを
(白秋) 若いうちから計画し 夢見
実現することが 大事なのだ。
85歳まで 遊行期 (ゆぎようき) 各自各様 長くも 短くも 自由である。
(100歳) (玄冬)
過酷な家住期 を生きて 前半の50年は 世のため 人のために 働いた。
後半こそ人間が 真に 人間らしく、 みずからの生きがいを 求めて
生きる季節ではないか。
俺は思うんだけど 今の世の中で 結婚して家庭を持ち 子供を育てる事は
非常に大変な事である。
人間本来の生き方とはなにか その事を考える余裕さえなしに必死で働いている。
これからの 世の中 恋人をもつ 結婚する 家庭を持つという 今までは
ごく普通だった人生の階段を 上がれない 人たちがたくさん出てくるだろう。
経済的に自立する女性が増え 家庭を持つのは面倒なだけで 適当に
アバンチュールを 楽しんでいれば充分 そういう 女性も増えてきているお一人様の老後へ 向けて生活設計を考えている。
格差地獄 労働地獄 貧困地獄 介護地獄など この世の中は今 先の見えない
暗闇に進んでる。
この国は平和で裕福で この先もそうだろうという幻想は もはや
捨てなければならない 時が来たと思う。
この時代が歴史の流れの中で どこに向かっているのか 今は上昇しているのか
あるいは 下降し ているのか その先になにが見えてきているのか
それを正しく覚悟したうえで
今ある自分自身の歩みを進めていかなければならないと思う。
暗くておもい 話題になったけど 覚悟が 必要みたい。
覚悟するとは 危険や困難を予想して その心構えをする事。
はっきりと現実を見据え 期待感や不安などに目をくもらせる事なく
事実を真正面から受け止めることである。
スポーツもそうだが 後半のゲームをどうつくるかに すべてはかかっている。
勝った 負けたは 死を迎えたときに 答えが出るのでは?
みなさん お休みまで もう一息です 頑張ってください!