奥薗壽子からのメッセージ が届きました。結構心が温まる文章なので、紹介します。 山口実
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奥薗さんって理系ですよね。
と、よく言われるのだけれど
実は私は典型的な文系。
1+1=2と言い切るより
1足す1は、大体2くらい
と答えるほうが好き。
はっきりしない、あいまいなものに
何かほっとするものを感じてしまうタイプ。
そんな文系の私が数字だらけのレシピを書く。
1/3だとか2/3だとか、理科の実験みたいな数字は
みただけでジンマシンがでそうになるから
偶数なら偶数、奇数なら奇数
あるいは3の倍数や4の倍数で統一したり
1.2.3とならべてみたり
2,4,6とスキップさせてみたり
絵や詩を書くように
分量の数字を楽しそうに、おもしろそうに、並べてみる。
レシピを数字を見ただけで
わけもなくわくわくしてくるように。
こんなことを書くと、
奥薗壽子のレシピは
いい加減な数字遊びかと誤解されるかもしれないけれど
けしてそうではないのです。
調味料の数字のバランスが取れている、ということは
つまり、味付けにおいてもバランスが取れているってことじゃないのかな。
1/3だとか2/3だとか
そういう細かい調整は
作り人や食べる人の好みで代わる、未知なる領域だと思うから。
「博士の愛した数式」(小川洋子著 新潮社版)
という私の大好きな本がある。
その中で書かれている博士の愛した数式は
eπi + 1 = 0
πは円周率で、ⅰは-1の平方根
そしてe は数字では表すことのできない重要な定数らしい
まったく理解不能。
けれど理解不能なこの数式を
たとえば料理に当てはめてみたらどうだろう?
すると、どんな複雑ですばらしい料理も
決して完璧ということはなくどこか1つ足りないところがある
そんな風に考えられはしないだろうか。
作り手のテクニックや
食材のよさだけでは完成できない
足りないもの。
それは何?
食べさせてあげたいという思い?
食べてみたいと思うわくわく感?
それとも、食事しながらのたわいもないおしゃべり?
懐かしさと優しさ?
レシピだけで
作り手の思いだけで料理を完成させようとすると
バランスが崩れる。
そんな料理は、なぜか食べる人の心をずっしり重たい気分にしてしまう。
肩の力を抜いて
作る人と食べる人が最後の1を加えてはじめて完成する
それくらいの
少し足りないくらいの料理がちょうどいい。
それぞれのうちで、それぞれのプラス1をして
家庭料理がぴたっと完成する
そういう料理なら、毎日食べてもいいなと思う。
さて、まだまだ寒い日が続いているから
今日は部屋の暖房もかねて、
鶏とキャベツをコトコト煮込んでみようかな。
なべを火にかけっぱなしにして、
やりかけの仕事を片付けて。
山盛り一杯のキャベツがくたくたにやわらかくなる頃
鶏の煮えるいい香りと暖かい湯気と
ただいま、お帰りなさいの声で家の中が一杯になる。
それが今夜のプラス1。
よしよし、今日の料理は完璧だ。
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奥薗さんって理系ですよね。
と、よく言われるのだけれど
実は私は典型的な文系。
1+1=2と言い切るより
1足す1は、大体2くらい
と答えるほうが好き。
はっきりしない、あいまいなものに
何かほっとするものを感じてしまうタイプ。
そんな文系の私が数字だらけのレシピを書く。
1/3だとか2/3だとか、理科の実験みたいな数字は
みただけでジンマシンがでそうになるから
偶数なら偶数、奇数なら奇数
あるいは3の倍数や4の倍数で統一したり
1.2.3とならべてみたり
2,4,6とスキップさせてみたり
絵や詩を書くように
分量の数字を楽しそうに、おもしろそうに、並べてみる。
レシピを数字を見ただけで
わけもなくわくわくしてくるように。
こんなことを書くと、
奥薗壽子のレシピは
いい加減な数字遊びかと誤解されるかもしれないけれど
けしてそうではないのです。
調味料の数字のバランスが取れている、ということは
つまり、味付けにおいてもバランスが取れているってことじゃないのかな。
1/3だとか2/3だとか
そういう細かい調整は
作り人や食べる人の好みで代わる、未知なる領域だと思うから。
「博士の愛した数式」(小川洋子著 新潮社版)
という私の大好きな本がある。
その中で書かれている博士の愛した数式は
eπi + 1 = 0
πは円周率で、ⅰは-1の平方根
そしてe は数字では表すことのできない重要な定数らしい
まったく理解不能。
けれど理解不能なこの数式を
たとえば料理に当てはめてみたらどうだろう?
すると、どんな複雑ですばらしい料理も
決して完璧ということはなくどこか1つ足りないところがある
そんな風に考えられはしないだろうか。
作り手のテクニックや
食材のよさだけでは完成できない
足りないもの。
それは何?
食べさせてあげたいという思い?
食べてみたいと思うわくわく感?
それとも、食事しながらのたわいもないおしゃべり?
懐かしさと優しさ?
レシピだけで
作り手の思いだけで料理を完成させようとすると
バランスが崩れる。
そんな料理は、なぜか食べる人の心をずっしり重たい気分にしてしまう。
肩の力を抜いて
作る人と食べる人が最後の1を加えてはじめて完成する
それくらいの
少し足りないくらいの料理がちょうどいい。
それぞれのうちで、それぞれのプラス1をして
家庭料理がぴたっと完成する
そういう料理なら、毎日食べてもいいなと思う。
さて、まだまだ寒い日が続いているから
今日は部屋の暖房もかねて、
鶏とキャベツをコトコト煮込んでみようかな。
なべを火にかけっぱなしにして、
やりかけの仕事を片付けて。
山盛り一杯のキャベツがくたくたにやわらかくなる頃
鶏の煮えるいい香りと暖かい湯気と
ただいま、お帰りなさいの声で家の中が一杯になる。
それが今夜のプラス1。
よしよし、今日の料理は完璧だ。