この諺は、最近「人に情けを掛ける事は、その人のためにならないからよくない」と間違った解釈をされているようですが、正しくは「人に情けをかけると、めぐりめぐっていつかは自分によい事がある」と言う意味です。僕が皆さんに提唱している「優しさのリレー」と共通するものがありますが、最近助かったことがあります。
日記のコメントにも書いたのですが、先日駐車違反の切符を切られる寸前で助かったお話をしました。直接には、可哀想な猫ちゃん達を助けている仲間の設計士さんが「先生、下に警察が来てるよ。」と携帯電話に電話してくれたのがきっかけですが、もう一人助けてくれた人がいたことが分りました。
設計士さんが「何でオレは3分でも許して貰えなかったのに、先生は10分以上も遅れて許して貰えたろう。」と少し悔しがっていたので、「やはり、日頃の行いが良いからではないですかね。」なんて軽口を叩いていたのですが、ようやくその理由が判明しました。
実は、同じマンションの管理組合の理事長さんが「今、大きな荷物を運んで行きましたから、直ぐ降りてきます。」(本当は、ボラティアの仕事で疲れて余りに眠かったので、車を止めて目が覚めるまで、自宅に帰っていたのですが)と二人の警官に伝えて、僕に連絡を取ろうとドアフォンを鳴らしてくれたらしいのです。それに気付かず僕は奥の部屋で、ボーっとPCに向かっていました。でも、そのお蔭で、切符を切られずに済んだのです。
理事長さんには3歳のお孫さんがいて、僕は大の仲良し。それに、マンションの理事会にはいつも出席しているし、マルチ商法のテナントは追い出したし、福岡西部沖地震の時は活躍したし、色々言うけど、結局コミュニティーの人と仲良くしているのが助かった原因です。
駐車違反と言う僕の行為は許されることではないのですが、皆さんのお蔭で助かった訳です。これから、天災や思わぬ事故が起こる可能性がありますから、そんな時コミュニティーで助け合わなければ、誰が助けてくれるでしょう。
最近公民館で講演をしたり、時々出入りをしていますが、それもこの考えに因るものです。私の働く大学が近々子供プラザやコミュニティーセンターを開設します。僕はとても素晴らしいことだと思いますし、それらの施設の運営を支援出来る事をとても幸せに思います。皆が普通に助け合えるようになったら、今の殺伐とした世の中を少し良くする事が出来るのではないでしょうか。
山口実